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「三島由紀夫」を信奉する民族派・ホシュ派の人々

「憂国忌・発起人」 画像は「憂国忌・発起人」より拝借

【直言極言】三島由紀夫の自決に思う[桜H23/11/25] へのコメントのページ - YouTube より



あえて、三島由紀夫の知人からのお話しを書きます。

三島は、思想的言動的に、ある意味で矛盾だらけの男でした。愛国­者には違いないが、彼の自殺の原因は、当時の日本人への非難の意­志表示だけではない。

当時の彼は、小説がさっぱり書けなくなり、作家として完全に行き­詰まった状態に陥っていた。それは、彼のタレント的作家人生の死­を意味していた。

そして彼は人生の最後に、大勢の人前で注目を浴びて、格好いい死­に方をやりたかったのだ。それが彼の人生最大の自己顕示欲の満足­であり、持って瞑すべしという心情だったに違いない。三島のよう­な、他人の目線ばかりを気にするような死に方は、決して本当の滅­私奉公的愛国者の態度ではない。

日本の本当の保守派の人達は、決して三島由紀夫を崇拝してはなら­ない。

彼は、226事件で処刑された青年将校達の亡霊に取り憑かれてい­たのだろう。彼等が、死後も昭和天皇を呪っていたのは、三島の「­英霊の声」などを読んでも分かる。三島の戦後日本を批判する思想­には、人間宣言を行った天皇と皇室への恨みも強く含まれている。

水島さんも、三島由紀夫と楯の会の自殺亡霊に憑依されないように­、ご注意ください。

投稿者:ytkodama



ytkodama へ

あなたは三島由紀夫の最高傑作の戯曲「サド侯爵夫人」が晩年に書­かれたものであり、今も国内外で公演され続けられていることを全くご存知ないようで­すね。

小説の「春の雪」「奔馬」も三島文学のこれまでのエッセンスが込­められた日本文学の珠玉の名作です。

三島の行動への反発からか、その芸術作品までも揶揄するのは明ら­かに見当違いも甚だしく見苦しいですよ。

投稿者:kkanda0629



ytkodama へ

もう一点、三島由紀夫が皇室を恨んでいたというあなたの見当違い­ですが、三島由紀夫はたしかに昭和天皇の人間宣言を批判してますが、一方­で彼は英霊の声の前身的な試作の「悪臣の歌」で、昭和天皇の優しいお人柄をも認めた上で、神としていてほしかった­という思いを込めてます。ましてや皇室に恨みなど持ってません。美智子皇后とはお見合いを­したご縁もある方です。

投稿者:kkanda0629



三島由紀夫は戦後日本を代表する1人の天才作家だったことは間違­いなく、彼の作品には珠玉の名作が多いことは事実です。

しかし、彼自身および彼の行動と、彼のフィクションである作品と­は別の物です。それは、三島自身も話していたことがあります。「­作家自身の人柄や人生は貧弱なものであり、作品への想像力が偉大­でも、その人の現実と創作とは峻別するべきだ」と。

彼が批判していた戦後日本人の風潮とは、まさしく彼自身の現実で­した。

彼は、大勢の人前で自殺することによって、戦後日本人という彼自­身を殺してみせたのです。理想的なフィクションとしての三島由紀­夫が、現実の三島を殺すことによって、彼自身の禊ぎ祓いを行った­のでしょう。

三島を崇拝する人達の多くは、非現実の理想化された三島の亡霊を­崇めているのです。

投稿者:ytkodama



ytkodamaへ

作品とその作家はあなたのいうように切り離せません。あなた自身­「英霊の声」と三島の昭和天皇批判を一緒にしているのに矛盾してますし、三島は­様々な作品の中にも、美学だけでなく戦後社会への批判や暗喩も織り込んでいます。

三島が自身で戦後日本人としての自分を裁いたというあなたの見方­も、言い換えれば戦前戦中の三島自身(平岡公威少年)に忠実に生き自決したという­ことで正に日本文化を愛した尊皇少年に三島が回帰したということで、あなたこそ三島の­行動や自決を憂国と認めていることになるでしょう。

投稿者:kkanda0629



ytkodama 氏のコメント内容は某書の内容の部分的な請け売りかと思ったりもするが(その本のタイトルは言わない。知りたい人は自分で探すべし)、三島由紀夫についての小生の所感は ytkodama 氏のコメントに近いし、それが概ね正しいと小生は観ている。kkanda0629 氏の見解には与しない。

何より、三島由紀夫には、天然の秀才にして真正の保守であられた
先帝陛下(昭和天皇)への不敬発言の前科がある。小生はそれを「反天連」の連中の不敬行為と同罪と見做す。三島由紀夫は少なくとも保守には非ず、民族系の左翼(右翼と言っても可、左翼と言っても可)か、保守とは真逆の何らかの革新信奉者であろうと思われる。

個々の人々が三島由紀夫のファンであるや否やはそれぞれの自由であり、勝手である。しかし、そうした個々の傾向や主義(イデオロギー)と、国家の戦略や政治は別である。それら二つは徹底して峻別しなければならない。

戦略において、最高に重要なのは保守の哲学に基づく思想や思考であって、それよりも重要なものは無いと小生は考える。そして、保守の哲学に基づく思想や思考にとって、民族派の情緒論や感情論ほど厄介にして邪魔なものはないかも知れない。

     ◇        ◇        ◇

民族派とは何か。「國體護持」を掲げておきながら、知ってか知らずは知らないが、「國體崩壊」を為さむとしている連中の総称。あるいは、「國體護持」を掲げておきながら、その自分たち自身が「國體崩壊」を為さむとしているのだ、ということが判っていない、見えていない連中の総称、と一応定義する。民族派は反日勢力の一つである。

現在および今後の民族派の言論傾向の具体例を以下に3つ。これら3つを通じてその思考の根底に脈打って流れているものは「反米英」なる民族派の教義ないし主義(イデオロギー)である。「國體護持」を掲げて「國體崩壊」を目指すのが彼ら民族派の秘めたる特技である。ここにおいて、「反米英」と「反日」は一致する。「反米英」にして「反日」となれば、もはや彼らは「支那・朝鮮・ロシア」のイヌかスパイということになる。


【1. 占領憲法エセ無効論の展開】

石原慎太郎らの反米民族派が占領憲法エセ無効論を展開し、かつそれを支持することによって、日本国憲法(占領憲法)の「カイセイ」を場外から援護している。日本国憲法(占領憲法)の無効論は保守の哲学に基づいて展開されなければならない。それができない間は、占領憲法体制は続く。

すなわち、彼らは占領憲法エセ無効論を説くことによって、保守の哲学に基づく真正の無効論に対する妨害電波を発し、結果、占領憲法体制を延命かつ擁護している。「自主憲法制定」なる論も然り。正統憲法たる帝國憲法の現存が認知できていない時点でアウト。彼らの言う「自主憲法」の「自主」とは、「対米自主独立」を主眼としての「自主」なるものであり、國體すなわち日本の安全保障を現状以上に危うくするものである。


【2. 日本の核発電(原発)と核武装を敵視】

東日本大震災の際の津波によって福島県の原子力発電所が被害を受けるや否や、民族派は突如として「脱原発」「反原発」を前面に出して主張し、合わせて「自立再生型の自然エネルギー利用の推進」などと、「反・技術立国」「脱・科学文明」の"お花畑話"をこれまた突如として発表する。

ロシアや支那や朝鮮の核武装には「反対運動」どころか「反対の声明」すらしたこともないクセに、日本の今後の核武装に必須となる核発電(原発)技術研究には、大震災・津波を「好機到来! この時ぞ!」とばかりに「反対の声明」を発し、「原発反対運動」も展開する。彼らのいう「自立再生」の「自立」とは、その中心に「対米自立(対米独立)」の意味を含有させた「自立」なるものであり、國體すなわち日本の安全保障を現状以上に危うくするものである。

同様に「好機到来!」さえすれば、対米英戦は、民族派の望むところなのである。昔も、今も! これからも!

ゆえに、正しい保守派が真剣に日本の核武装を考え、現実に日本が核武装するなら、それら核兵器の目標は間違いなく「ロシア・支那・上下朝鮮」に限定されたものでなければならず、対「米英」戦には転用が不可能な核武装に限られなければならない。なぜなら、「反米英」の民族派は、日本が核武装をしたらしたで、これまた突如、「さあ、アメリカに対し、核による報復を!」と叫び出すこと必定だからである。

小生は、日本の核武装を最も阻害しているのは「サヨク」でも「一般国民」でもなく、実は「反米英」の民族派ではないかと観る。「反米英」の民族派にとっては、"対「米英」戦には転用が不可能な核武装"では不満足なのである。


【3. 特亜の擁護、殊に朝鮮の擁護】

民族派は、「支那・北朝鮮・下朝鮮」と「英・米・GHQ」のどちらを憎悪し、敵視しているのかというと、「英・米・GHQ」を憎悪し、敵視しているのであり、相対的に「支那・北朝鮮・下朝鮮」に甘く、なかでも「下朝鮮」「在日」に対しては可能な限り甘い。つまり「韓国批判」がほとんどゼロ。その代わりに「『韓国批判』への批判」や「『在日朝鮮人批判』への批判」は彼らにとっては茶飯事と化している。

まぁ、どうしても「自主」だの「自立」だのを言いたいのなら、永世劣後民族たる朝鮮人に対してこそ、叱りつけるように何百万回でも何千万回でも、最後の一匹が死ぬまで言ってやれ! そのほうが日本の国益になる。

なお、冷酷かもしれないが、地政学上の現実として、朝鮮には「自主」も「自立」も永遠に無い。絶滅させずに生存させ続ける限り、連中は永世"生活保護"民族=永世"ユスリ"民族、永世"タカリ"民族、永世"物乞い"民族である。共産支那もまた同じ。支那について言えば、日本人は、「チューゴク大陸」などという、地政学ではない「地理の幻想」「地図の幻惑」からそろそろ醒めたらどうか。ちなみに「ヨーロッパ大陸」などというモノも地政学的には成立不可能である。

「支那・北朝鮮・下朝鮮」はクニモドキであり、日本にとってそれらは、とっくの昔に「用済み」であり、しかも奴らは暴力集団である。「支那・北朝鮮・下朝鮮」を焼化・絶滅させ、消毒・浄化を実行するのが日本の国益である。「支那・北朝鮮・下朝鮮」を無くせば、その必然の結果として、ロシアの南下が起こると考えるが、その一方、残る襲撃・絶滅(=殺処分)の対象をロシア一本に絞ることができる。もとより「支那・北朝鮮・下朝鮮」は対ロシア包囲網・防共壁としては何の役にも立たないことを、日米両国民ともに推して知るべし。

日本からの侵攻・爆撃の方向は、日本より見て「北北西に進路をとれ」(=北進)が正しい。「南」や「東」に進路をとるのは誤りであり、絶対にしてはならない間違いである。その「絶対にしてはならない間違い」(=南進)をやってしまったのが大東亜戦争の後半部、すなわち対米英戦であった。

それは、「國體護持」を掲げながら「國體崩壊」を為さむとした「反米英」の民族派が、いわば"輝いていた"時期に一致すると同時に、国内は万事窮乏を極めた時期でもあった。「大震災による計画停電」ならぬ「対米英開戦による計画窮乏」であった。「北北西に進路をとれ」(=北進)が善であり、逆の南進は天に刃を向ける狂凶の体現と化す。日本が日本である以上、これからもこの図式に変わりはないと思う。

もっと言えば、「支那・北朝鮮・下朝鮮」などは、外人に犯させておけば良かったのである。日本は満州(南満のみにあらず、全満州)における種々の権益さえ確保しておけば、「支那・北朝鮮・下朝鮮」などは、外人に犯させ、殺させ、好き勝手にさせておけば良かったのである。

「支那・北朝鮮・下朝鮮」を、わざわざ日本の国益や日本人の財産はおろか日本人の血や生命までをも大量に「持ち出し」て守ってやる必要など無いし、そうした行為は日本の国益に反する。すなわちそれは反日を利し、日本人・親日を困窮に陥れ、見殺し、挙句に敵に差し出して殺させる自虐・利敵行為なのであって、現にそうなった(殊に昭和20年8月15日以降の満州・朝鮮・千島等において)。

そして今なお、形態は多少変わったものの、そうした自虐・利敵行為が継続している(一例:生産組立拠点を支那・朝鮮に移転 →→ 日本国内で失業者・貧困者数増加 →→ 日本人自殺者数増加・政府社会保障費増加 →→ 自由国家の危機・自助自立の精神の危機)。

     ◇        ◇        ◇

「保守と民族派とは90度対立する」云々との主旨の図を、中川八洋氏はその著書の中でお書きであった(『民主党大不況』p363)が、小生に言わせれば「90度」どころではない! 両者の間には少なくとも「1800度」の螺旋状の対立関係がある。

普段、民族派の論客を徹底批評・攻撃している中川八洋氏であるが、民族派のなかでも三島由紀夫にだけはどうも甘いように思われる。三島を礼賛・信奉しているフシさえ窺える。三島への批判なくして民族派を隈なく攻撃できるものか、疑問である。それとも中川氏にとっては、「三島由紀夫」は、敬して遠ざけるべき聖域なのであろうか。民族派に聖域など設定してやる必要がいったい何処にあるのか。

あるいは中川氏自身が「憂国忌・発起人」に名を連ねているからなのか。

憂国忌・発起人(敬称略)
http://mishima.xii.jp/hokkinin/

代表発起人
井尻千男、桶谷秀昭、西尾幹二など。

発起人
浅田次郎、潮匡人、川口マーン恵美、小林よしのり、清水馨八郎、堤堯、富岡幸一郎、中川八洋、中西輝政、西部邁、西村幸祐、西村眞悟、福田和也、水島総、八木秀次、山崎行太郎など。



「憂国忌・発起人」には、コミュニストあり、反コミュニストあり、自称保守あり、偽装保守あり、まぁ何でもあり、という有様である。「発起人物故者」においても、葦津珍彦、江藤淳、岡潔、林房雄、福田恆存など、学校の成績は良いが思想的ないし精神的にアヤシイ人物が含まれている。いや、何らかの「主義」=「教義」=「イデオロギー」から脱却できていない(できなかった)通称有識者ないしチシキ人の名簿というべきか。

連中が反米派であれ、親米派であれ、ゴケン論派であれ、カイケン論派であれ、そもそも「体をぶつけて死ぬ」価値すらあるかどうかが甚だ疑わしい"ウソ憲法"にわざわざ「体をぶつけて死ぬ」破棄論派であれ、「アタラシイ自主ケンポウ制定論」派であれ、それらのどこに所属しようとも、凡そ彼らは「戦後体制ホシュ派」「占領憲法体制ホシュ派」「ウソ憲法ホシュ派」なのである。だから彼らは保守ではなく、保守と「1800度」の螺旋状の対立関係を成す。

そして彼らは、歳のせいなのか、あるいは三島への憧れや信奉が過ぎるのか、いまさら「1800度」の螺旋階段を自省の念を保持しながら登る気はほとんど無いようである。占領憲法(ウソ憲法)体制を七十年間もホシュすることに賛助してきた連中には、言い訳も弁解の余地も、悪いが小生は認めない。その「賛助」が故意か過失かも関係ない。

     ◇        ◇        ◇

三島はかつて「ニ・二六事件を肯定するか否定するか、という質問をされたなら、私は躊躇なく肯定する立場に立つ」(『蘭陵王』p100)と言った。小生は、「ニ・二六事件を肯定するか否定するか?」という質問をされたなら、躊躇なく否定する立場をとる。三島由紀夫や石原慎太郎ら民族派の言い分よりも、本居宣長や井上毅、
先帝陛下(昭和天皇)、バーク、リスト、ベルジャーエフらの哲学のほうが、如何にすがすがしく、切れ味最上であり、実に強靭であり、何と後味爽快にして明解なことか。







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