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【保守哲学】 国学の系譜、帝國憲法の統 (二)

 本居宣長   井上毅(いのうえこわし)   陸奥宗光
 画像は左から順に本居宣長、井上毅(いのうえこわし)、陸奥宗光。
 本居宣長の画像は 本居宣長記念館HP より、
 井上毅と陸奥宗光の画像は 国立国会図書館HP より拝借。


【二】 本居宣長から、井上毅と同世代のもう一人の政治実務家、陸奥宗光に繋がる系統

本居宣長
  │
本居大平
  │
伊達千広
1802年6月24日(享和2年5月25日) - 1877年(明治10年)5月18日
伊達千広 - Wikipedia
  │
陸奥宗光
1844年8月20日(天保15年7月7日) - 1897年(明治30年)8月24日
陸奥宗光 - Wikipedia


伊達千広には 大勢三転考 という主著があります。読みは Wikipedia にあるように「たいせいさんてんこう」でも可なのかもしれませんが、小生は「たいせいみうつりこう」と覚えています。國史における大まかな時代区分について、同様な区分を抱いていた小生としては、この大勢三転考の「骨(かばね)」「職(つかさ)」「名(みょう)」の区分を別の歴史書で知ったとき、意外なところから味方が現れたような思いがしたのとともに、「やっぱ、この認識だよネ」みたいに思いました。そもそも、國史を大まかであれ適当であれ通読してみて、こうしたマクロな区分やフローが浮かんで見えてこない人々の視座のほうがオカシイのではないかと思います。

陸奥宗光は当時の日本にとって国家的宿題であった治外法権の撤廃に尽力し、米、英、独、仏など、当時の列強をはじめとする諸国との間で不平等条約の改正を実現。また、日清戦争後の「露・独・仏」と「米・英」の日本に対する態度の差に鑑みれば、この不平等条約の改正が成っていたからこそ、爾後、日本の国家としての親米英度はむしろ高まり、そして、だからこそ日露開戦が出来たのだ、との観察も可能であるように思います。100年以上を経た今に至っても最高知脳の外務大臣であろうと思われます。

先の井上毅についても、陸奥宗光についても、米国の偉人でたとえて言えば、ザ・フェデラリストアレキザンダー・ハミルトンに相当するようなイメージを小生は持っています。しかしながら、日本におけるその後の保守哲学の「やせ細り」ないし衰亡ぶりを考えてみると、井上毅も陸奥宗光も50歳を少し過ぎた頃にこの世を去っていることが実に悔まれます。あと20年か25年、長生きされていれば、彼らに影響を受けて彼らの哲学を継受する、あるいは本居宣長を中心とした日本の国学(古学)と英米系の保守哲学の両方を照らし合わせながら継受する、賢哲な弟子が1人か2人はあったかもしれないからです。政治学者ではなく政治実務家であるご両人にとって、それまでは弟子を身近に置いたり、通わせて学問上の面倒を見たりといった暇も考えもおそらくなかったでしょう。井上毅も陸奥宗光も、西暦でいえば同じ1844年に生まれ、明治28年(1895年)と明治30年(1897年)に亡くなっています。





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