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【保守哲学・憲法無効論】 日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」 (下)

これまでに、オークショットやハミルトン等の著作のほんの一部と、梧陰先生こと井上毅の遺した莫大な書物(長いものから、短い書簡まで)のほんの一部を拝読しただけですが、英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出すと小生は考えています。正しい日本国憲法無効論は、決して何らかの偏狭な、日本国内の一部だけでしか通用しない主義主張ではないのです。そのようなイデオロギーとは無縁であります。それを考察する際に欠くことのできない真正の思想、真正の哲学の紡ぎ出した糸口の一端が、オークショットならオークショットの著作の一行に、ハミルトンならハミルトンの著作の一節にあります。

そうした観点に立って、小生は、日本国憲法は憲法として無効である、と考えます。憲法無効論を支持するといっても、何らかのイデオロギーに基づく憲法無効論(もどき)ならば、小生はそれに与することはなく、それを排除する側に与します。

三橋貴明氏は過日のブログ・エントリのなかで、このようにお書きでした。

単に日本の緊縮財政派の人たちが、環境をまったく考慮せず、イデオロギーのように延々と同じソリューションを叫び続けるため、批判しているだけでございます。イデオロギーに基づく緊縮財政派を批判する以上、わたくしがイデオロギーに基づく積極財政派をも批判するのは言うまでもありません。

ポルトガル危機 最終回|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog より。


実にすばらしいと思います。このフレイズを拝借して、小生がいま述べたことを当てはめるなら、

エドワード・コークの著作にしても、マイケル・オークショットの論文にしても、イデオロギーに染まった目で見てしまっては、おそらく受け取りを誤るでしょう。イデオロギーに基づく共産主義・社会主義・民主主義・国民主権(人民主権)を批判する以上、小生がイデオロギーに基づく保守主義をも批判するのは言うまでもありません。


「日本国憲法」をどう改正したところで、日本国の憲法としての正統性は生じ得ないのです(前回のエントリ参照)。正統性とは、現在生きているシャバの人間が専制支配(ウシハク)し得るものではありません。正統性でも何でも、如何なるものであろうとも、現在生きている国民(=シャバの人間)が完全に支配できるのだ! というのが反日思想の最たるものであると小生は考えています。これを「シャバ人間主義」と名付けます。たとえばハイエクのいう「設計主義的合理主義」は、これに近似するものではないだろうかと思うことがあります。

この「シャバ人間主義」は、国民主権(人民主権)の社会、もしくは天皇主権の社会へといざなう、反日の生態を育む土壌の肥やしというべきです。そのような肥やしを吸い込んだ土壌で生活すれば、国民主権(人民主権)、天皇主権の狂気を次第次第に脳髄の中に取り込むのです。明治維新前後以降のこの約150年間のなかで、その肥やしは、ときに薄まったり、ときに猛烈に濃度を増したりしながら狂気の土壌を醸成し、今日に到るまで総じて日本の天気は「国民主権ときどき人民主権、ところにより天皇主権」ではなかったかと。それが戦争や全体主義の原因とまでは言いませんが、全体主義の力強い肥やし、ないしその呼び水は、この「シャバ人間主義」を養分とする思想にあると観ています。ですから、平和を愛するなら、ヤマト(現代の日本語で申すなら「大平和(だいへいわ)」)を愛するなら、「シャバ人間主義」を養分とする思想を戒めなければなりません。

ところが、この「シャバ人間主義」は平成に入ってますますその濃度を増強してきたかのようにうかがえます。俗に言われるところの「失われた20年」と呼吸を一にして、この「シャバ人間主義」が猛威を振るってきたかのように思われてならないのであります。この20年、経済面においては、かの新自由主義(または、かの「構造改革」)を国民の少なからぬ部分が停滞感打破のための効果ある処方箋と信仰して受容してきたからであり、政治思想の面においては支那・特亜の臭気を放つ人民主権思想の日本国土への半ば寛容的な蔓延が続いてきたからです。そして、小生は、この「シャバ人間主義」を養分とする思想を筋肉質なまでに裏打ちする、ひとつの有力な成分が rationalism (合理主義)ではないかと、rationalism (合理主義)にかなり以前から強い容疑をかけています。

そして rationalism (合理主義)への容疑は、少なくとももう一つあります。日本国憲法改正論者の思想や信条にその菌糸を蔓延らせているとする容疑であります。 rationalism は理性主義、理性論、唯理論とも訳されるようです。

オークショットの Rationalism in Politics の冒頭に近い一節には、こうあります。

The general character and disposition of the Rationalist are, I think, difficult to identify. At bottom he stands (he always stands) for independence of mind on all occasions, for thought free from obligation to any authority save the authority of 'reason'. His circumstances in the modern world have made him contentious: he is the enemy of authority, of prejudice, of the merely traditional, customary or habitual.

Rationalism in PoliticsSelections from Michael Oakeshott at conservativeforum.org より。

------------------

合理主義者、すなわち理性教の信者に概ね共通するキャラや傾向をズバリ当てましょう!というのは、なかなか容易ではない。だが、彼らは如何なる議論の場面においても、精神的な引きこもりを、すなわち如何なる権威に対する敬意や思慮にも左右されない思考を頑なに保持している。ただし、自分様の、合理主義者様の「理知」という権威への敬意や思慮は、彼らの頭のなかでは別格である。彼ら理性教の信者が異論や争論を差し込みたがるのは、近代以降のこの思潮の海に、彼らの脳ミソがドップリ漬かっているからである。たとえば、伝統的権威、偏見、あるいはそれが伝統的で、慣習法みたいで、つかみどころの乏しいしきたりみたいなものに見えるからというだけで、彼らはそうしたものを敵視するのである。

( oyoyo な解釈。くれぐれも出過ぎたアラを指摘して攻撃しないように。お願い致します。)


大日本帝國憲法の真正護憲論、真正の日本国憲法無効論に執拗なまでに異論を付けたがる輩の習性、ないしその精神の状態を捉えていると思いませんか? むしろ、そういう輩を想定して読むほうが、Rationalism in Politics の導入としては判りやすいかもしれません。 Rationalism in Politics には、思考を駆りたてるこうした洞察が至るところにちりばめられています。

で、そうした思想や哲学のページをめくるにつれ、その一方において、日本の明治以降のこの約150年間に著された、数多の「これが日本の保守思想だ!」と、あたかも保守の定番であるとのお墨付きを得た思想家や評論家の著作であっても、かなりアヤシイのが、これまた沢山あることに気付かされるのです。

そして、そうした類の思想家や評論家の思想のDNAをどこからか継受した、或いはどこからともなく継受した、現生の新たな思想家・評論家がこれまた多々発生しており、そうした連中の著作や言論が、いまも飽くことなく生産され、売りさばかれ、拡散されていることに、また気付かされるのです。そのような言論の内容の例として、近衛文麿擁護論、二・二六事件の革新系軍人への崇拝ないし礼賛論、山本五十六称賛論。そして日本国憲法改正論・平成の巻。おまけで付けておくなら、民主党擁護論ともいうべき人民主権政治待望論などです。目下、官邸や大政党の党本部に出入りして、その執行部にあれこれのレクチャーを吹き込んでいる大学教授らがその最たる当番役です。また、マスメディアにご出演のコメンテーターの先生方のなかには、そうした言論の国民向けレクチャー担当のご当番をなさっている方々がいらっしゃるでしょう。それを知っててやっているのか、それとも知らずにやっているのかは問いません。


話が少し逸れましたが、日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」の思想を、筋肉質なまでに裏打ちするひとつの有力な成分が rationalism (合理主義)。これが憲法論議においては、日本国憲法改正論の主張として、あるいは無効論に対する理解不足や等閑視等に現れているように思います。このうち、無効論に対する等閑視は、無効論を日本国憲法改正論の一種ないし変種として捉える浅薄に過ぎる思考へと傾斜しやすいように思います。そして、そうした種類の思考の促進を引き受けているものが、合理主義者様・理性主義者様・理性論者様・唯理論者様の「理知」という権威なのではないのかと。合理主義者様・理性主義者様・理性論者様・唯理論者様は、その「理知」の保持にかけては、笑えるほど頑ななのです。

「英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出す・・・・・・」と書きましたが、のみならず、英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、政治と経済政策の両方における反日思想の病理をも浮かび上がらせるように思う今日このごろであります。


   ◇   ◇   ◇ 

オークショットの Rationalism in Politics は、バークの Reflections on the Revolution in France、ハミルトンの Federalist Paper などと同様、邦訳本が出ています。 が! 邦訳本というものは大概どれもそうなのですが、訳が気に入りません。そう思うのはあるいは贅沢なのかもしれませんが、たとえそれがその邦訳本の内容の若干部分であれ、どーゆー思考のプロセスを経ればこの英文がこんな日本語へと合成されるのかと。あるいはまた、翻訳を担当された日本の先生の訳が正しいのなら、その先生が参照された英文が印刷の不備か何かで間違っているのではないのかと。そのような疑いを抱かざるを得ない翻訳の載った本がありすぎます。おまけに値段が高すぎです。


【関連エントリ】

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