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【憲法無効論】 中川八洋氏と憲法無効論 (上)

本エントリ(作成日:平成23年4月10日)の内容の一部は、メールをお送り下さった方に差し上げたレス内容の補充を兼ねます。


「中川八洋氏の憲法論が、いわゆる憲法無効論にならないのはなぜ?」ということについて、小生なりに考えてみたいと思います。中川先生の御著書や論文を、小生は全て拝読させていただいたわけでもなければ、一冊の御著書について、それを何十回と読み返したわけでもありません。その問いに答えられるのはおそらく中川先生ご本人しかいらっしゃらないでしょう。しかしながら、その問いに対する答えをおおよそ推測することはできます。


先ず、こちらをご覧下さい。中川八洋氏の著作、『保守主義の哲学』からの一部引用です。原文の段落は、本エントリでは一行余白としています。

中川八洋 保守主義の哲学 01 *書籍の画像は 紀伊國屋書店 BookWeb より拝借

とりわけ、「コモン・ローの優位」の原則での司法判断で有名なのが、ボナム事件(王立医師会事件、一六〇六年)でのコークの判決(一六一〇年)であろう。次のように書かれている。

「国会制定法が一般の正義と条理(common right and reason)に反しているか、矛盾している(repugnant)か、もしくは執行が不可能である場合、コモン・ローはこの制定法を抑制(control)し、無効(void)と判決する」(*7) 。

特定団体に開業の独占権を定める、ヘンリー八世の開封勅許状とそれを確認する二つの法律に違反したとして、ロンドン市内での不正開業の罪で罰金を科せられ投獄されたケンブリッジ大学卒の医師ボナムの訴えを、これらの法律に矛盾があり執行できないことにおいて無効であると解釈して、認めたのである。

なお、このボナム事件の判決などによって、ハミルトンらが米国憲法に司法審査権の制度を「発明」するに至ったことは有名であろう。米国憲法を起草し十三邦に批准させ施行してゆく一連の過程のなかで、コーク卿の系譜にあってその忠実な継承者でもあったアメリカの「建国の父たち」は、米国憲法を「コモン・ローの発見」として起草した。コークは没後百五十年を経て、米国憲法の基本原理の一つとして蘇ったことになる。

(*7) 『コーク判例集8』、一一八a頁。

中川八洋著『保守主義の哲学』(PHP研究所、2004年) P.89 ~P.90


『コーク判例集』は未邦訳本だと思いますが、英文テキストならネット上でその全文を誰でも閲覧することができます。
Online Library of Liberty - Sir Edward Coke 

上掲文中に引用されている部分の原文は次の通りです。

And it appeareth in our Books, that in many Cases, the Common Law doth controll Acts of Parliament, and somtimes shall adjudge them to be void: for when an Act of Parliament is against Common right and reason, or repugnant, or impossible to be performed, the Common Law will controll it, and adjudge such Act to be void; and, therefore, ...

Online Library of Liberty - Selected Writings of Sir Edward Coke, vol. I


そして、直後の P.91 ~P.94 において、次のように語られています。

コークに学ぶべきもう一つは、「慣習は "法" である」の法理であろう。コークの『判例集4』に、「consuetudo est altera lex (慣習はもう一つの法である)」 (*11) とある。この法諺を基準とすれば、古来からの慣習に抵触する法律は立法してはならないことになる。古来からの慣習・制度を改変するいかなる法律も法律として無効である、ということである。要するに、慣習の遵守こそ、自由社会の、自由の擁護のための要諦なのである。

(*11) 『コーク判例集4』、二一頁、三八頁。

中川八洋著『保守主義の哲学』(PHP研究所、2004年) P.91 ~P.92
アンダーラインは拙者による。


デカルト的な、人間の社会をいかようにも改造できるという人間の知力への無制限な過信を、ハイエクは "設計主義的合理主義" と名づけ批判した。コークもそのようなものを「自然的な理性(natural reason, private reason)」であると排斥した (*14) 。

二十一世紀日本では、急進的な過信と傲慢の「自然的な理性」が国全体の支配者となっている。日本は、憲法を改正して、"慣習の優位" を定める憲法条項を設ける必要にかられている。

コークは、(人間の生来の知力のことである)「自然的な理性」を断固として排斥しつつ、「コモン・ローの魂(生命)は、永年の研究、観察、経験を積み重ねての(多くの賢人やその他の人々が幾世代もかけてつくりあげた叡智の結晶としての)人間の行為の結実としての完全な理性である(artificial perfection of reason)」 (*14) と、考えた。

(*14) 『英国法提要』第I巻、九七b頁。

中川八洋著『保守主義の哲学』(PHP研究所、2004年) P.93 ~P.94
原文中の著者による傍点は省略。


上掲文中に引用されている部分「 (*14) 」の原文は次の箇所と思われます。
(綴りは原文のママです)

For reason is the life of the Law, nay the common Law it selfe is nothing else but reason, which is to be understood of an artificiall perfection of reason, gotten by long study, observation, and experience, and not of every mans naturall reason, ...

Online Library of Liberty - Selected Writings of Sir Edward Coke, vol. II



>二十一世紀日本では、急進的な過信と傲慢の「自然的な理性」が国全体の支配者となっている。日本は、憲法を改正して、"慣習の優位" を定める憲法条項を設ける必要にかられている。

「憲法を改正して」の「憲法」は日本国憲法を指していると判断するなら(小生はそう判断しています)、日本国憲法を憲法として有効なものであるとお考えであることがうかがえます。この部分を語られるときの中川先生の視野には、大日本帝國憲法は含まれていないと拝察致します。

>デカルト的な、人間の社会をいかようにも改造できるという人間の知力への無制限な過信を、ハイエクは "設計主義的合理主義" と名づけ批判した。コークもそのようなものを「自然的な理性(natural reason, private reason)」であると排斥した。

>コークは、(人間の生来の知力のことである)「自然的な理性」を断固として排斥しつつ、「コモン・ローの魂(生命)は、永年の研究、観察、経験を積み重ねての(多くの賢人やその他の人々が幾世代もかけてつくりあげた叡智の結晶としての)人間の行為の結実としての完全な理性である(artificial perfection of reason)」と、考えた。

ならば、コークの法思想ないしその哲学に忠実であればあるほど、日本国憲法は「違憲立法」(=大日本帝國憲法に違反)であり、憲法として無効であることをますます強く肯定することになりませんかと。小生はそのように考えます。日本国憲法はまさしく「自然的な理性(natural reason, private reason)」の箇条書きであり、対して、大日本帝國憲法は「永年の研究、観察、経験を積み重ねての」、「多くの賢人やその他の人々が幾世代もかけてつくりあげた叡智の結晶」の、その正に表現ではありませんか、と。

コークの法思想ないしその哲学について、ホッブズやデカルトの如くそれを憎悪し排斥せんとする人間が、日本国憲法を憲法として有効であると信仰し、その改正なり擁護なりを主張するのはわかります。しかし、コークの法思想ないしその哲学の、その正統たるを論じられる中川先生が、日本国憲法を日本国の憲法として有効であると了解されて、これを改正せんとされるのは、全くもって不可解なのであります。

あるいは、日本国憲法が憲法としては失格ないし無効であるとしても、これにコークに代表される保守の法思想ないしその哲学に基づいて改正を加えれば正統の憲法が出来る、すなわち、

「憲法としては失格ないし無効なもの」+「改正」=「正統の憲法」、もしくは、
「憲法として無効な憲法(もどき)」+「改正」=「憲法として有効な憲法」

との構想をお持ちなのかもしれませんが、仮に「憲法としては失格ないし無効なもの」と認知されていても、この場合も有効論になります。憲法として有効であるとの(すなわち有効論の)視座だからこそ、その改正条項に従った憲法改正を試みることができるからです。上の二式は一見美しく整っているように見えるかもしれませんが、いずれも、まやかし・詭弁・詐話・大嘘の類にほかなりません。この際に持ち上がってくる問題のひとつは、正統の憲法に備わっていて然るべき、憲法としての正統性についてであります。




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