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國體(国体)と政体の混同

この先生、國體(国体)と政体を混同されていらっしゃるのでは、と俺的にはみえる。

【正論】東洋学園大学准教授・櫻田淳 「臣」の作法は忘れ去られたか

 ≪「権勢」を奮う心構え≫

 先刻、習近平中国国家副主席の訪日に際して、外国賓客接遇に関する「1カ月前告知ルール」と呼ばれる慣習が破られる体裁で、天皇陛下との会見が設定されたことは、鳩山民主党主導内閣による「天皇の政治利用」という趣旨の疑念を噴出させた。ただし、此度の紛糾が問い掛けているのは、実は、鳩山由紀夫総理や小沢一郎民主党幹事長のように、民主党主導内閣を差配している人々が、どのような意識の下で自らの「権勢」を奮っているのかということである。

 そもそも、日本は、民主主義国家ではあるけれども、その国制は、「共和制」(republic)ではなく、歴然とした「立憲君主制」(constitutional monarchy)に他ならない。故に、「君主制」と「民主主義体制」の微妙な均衡の下に成っているのが、日本の政治体制である。「民主主義国家」と「立憲君主国家」の2つの相貌(そうぼう)を併せ持つ日本においては、国政に携わる政治家とは、「『民』に選ばれて『臣』の列に連なり、『君』に仕える人々」でしかない。

 ≪憲法理解の不十分な小沢氏≫

 天皇を「国家と国民統合の象徴」と位置付けた現行憲法典の下でも、そうした「立憲君主国家」としての流儀は受け継がれていた。たとえば、現行憲法典制定時の宰相であった吉田茂は、自ら「臣・茂」と称し、最晩年に至って宮中から鳩杖を下賜(かし)された。鳩杖の下賜は、古来、老齢の功臣に与えられた最高の栄誉であった。そして、吉田の直系の弟子であった佐藤栄作も、師と同様に自ら「臣・栄作」と呼んでいた。吉田も佐藤も、戦後の宰相としては最も長い執政期間を刻んだけれども、その宰相としての「権勢」が、「筆頭の臣」(Prime Minister)として「君」に仕えるためのものに過ぎないことを充分(じゅうぶん)に心得ていたのである。

 故に、日本は、「立憲君主国家」である以上、それに相応(ふさわ)しい慣習がある。議論の焦点になっている「1カ月前告知ルール」は、慣習としての歴史は浅いかもしれないけれども、「生身の人間」である天皇陛下の御年齢と御健康とに配慮した慣習として定着してきたものである。そして、現在の宮内庁長官は、そうした「立憲君主制」の擁護を皇室に最も近いところで担っている官職である。羽毛田信吾長官が、そうした様々な慣習の侵食を警戒するのは、むしろ当然のことである。然るに、鳩山総理や小沢幹事長のように、羽毛田長官の姿勢を「杓子(しゃくし)定規」、「金科玉条」などと批判する感覚こそは、彼らにおいて、日本が「立憲君主国家」であることの意味が適正に理解されていないことを示している。

 ところで、小沢幹事長は、先刻の記者会見の席で此度の紛糾に対する所見を求めた新聞記者に「憲法を読んだか」と怒気を含みながら詰問したと報じられている。しかし、外国賓客の接遇は、憲法典上の国事行為ではなく、各地の行事への行幸(ぎょうこう)と同様に公的行為と分類される。こうした国事行為ならざる行為に、どこまで内閣の意向が反映されるべきかには、決して自明の説明はない。逆にいえば、外国賓客の接遇は、国事行為ではない故にこそ、そこには皇室の「一視同仁」の価値観が直接に反映されていた。この意味は誠に重いものなのである。先刻の記者会見の風景は、小沢幹事長が現行憲法典の字面しか読まず、「臣」としての分際(ぶんざい)を弁(わきま)えてない実態を暴露している。目下、民主党内では新人議員を対象にした「研修」が延々と続いていると伝えられているけれども、小沢幹事長こそが、相応の「臣」としての「研修」を必要としているのではないか。
(以下略)

(MSN産経ニュース 2009.12.30 02:26)



>そもそも、日本は、民主主義国家ではあるけれども、その国制は、「共和制」(republic)ではなく、歴然とした「立憲君主制」(constitutional monarchy)に他ならない。

「日本」と言ったとき、それは「國體」を言っているのか、「日本の政体」を言っているのか。藤原さんとか蘇我さんとか北条さんとか足利さんとか徳川さんとかGHQとか連合国とか、「日本の政体」はコロコロ変わります。そして、そのコロコロ変わる「日本の政体」のなかで、その時々の政権の主な担い手や実力者は、もっとコロコロ変わります。でも、「國體」は万邦無比にして永遠の「いま」です。

不変の「國體」と、その中でコロコロ変わる「日本の政体」を、同一同体のものと視ることはできません。

「民主主義国家」なる言葉や「国制」なる言葉も、不変の「國體」とコロコロ変わる「日本の政体」の一応の峻別を避け、その結果出来た「曖昧」を足場の一部とすればこそ、脳内において生まれ出でる言葉ではないでしょうか。

「日本」と言ったとき、それは「國體」を言っている、と小生は看做します。「日本の政体」を指して言うなら、「日本の政体」と言えばよいし、「日本の世間」を指して言うなら、「日本の世間」と言えばよい。そういうところをなるべく曖昧にしておきたいという何がしかの気持ちには、非國體の思想の影がちらついている、と小生は看做します。


>憲法理解の不十分な小沢氏
>小沢幹事長こそが、相応の「臣」としての「研修」を必要としているのではないか。


小沢をかばう気は毛頭ないが、非國體の思想の影がちらついていることに関しては、この先生も小沢も五十歩百歩、乃至どんぐりの背比べといったところではないかと思われます。

我が国においては、明治の御代に我が国で初となる「憲法」が制定されました。立憲政体の明文化です。そして、
天皇はその立憲政体の君主であらせられます。しかも、それ以前に、永遠の「いま」において、天皇は國體の元首にあらせられます。

なお、たとえば「十七条の憲法」は「憲法」という呼び名は付いていますが、これは立憲政体の規定という意味においての「憲法」ではありません。その意味においての「憲法」は、大日本帝國憲法が我が国では初であります。

大日本帝國憲法は現存しています。然るに現状、日本国憲法を日本国の憲法として有効であると、明示的であれ黙示的であれ考えている方々は、それが日本国憲法の改憲論者・改憲論支持者であれ、護憲論者・護憲論支持者であれ、何れもサヨク・リベラルであるという点においては、何ら違いはないのです。すなわち、連合国様(国連様)より与えられた土俵の上で、各々が論陣を張っていたり、その土俵上の構成員であることには、「右」でも「左」でも「上」でも「下」でも「真ん中」でも、どこに居ても同じ。「逆賊」という言葉を用いるなら、むしろ日本国憲法の改憲論者・改憲論支持者のなかにこそ、「いい人」の顔をした逆賊が混入していると小生はみています。






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