oyoyo Memo Blog

時事と雑記。気が向いたときに更新するブログ。

【コメントの紹介 その3】 ~真正の無効論(講和条約説)・ルソー憲法・チャンネル桜~

[コメントの紹介 その3]

せっかくの丁寧なコメントがこのまま過去ログに埋もれてしまうのはもったいないと思ったので紹介。そして、コメントをいただいたことに感謝しつつ、小生の見解や雑感などを記述してみました。

【エントリ本文】
【動画】 チャンネル桜「日本国憲法無効論」大討論
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【コメント】

はじめまして
もう既にご承知だと思いますが、上念司氏とTwitteで南出無効論者の間で応酬が続いていましたが、谷田川惣氏に南出氏が直接連絡をとり、公開討論を申し込まれたそうですが、上念氏がチャンネル桜に掛け合いやってはどうかと同局に提案。チャンネル桜も承諾されたので、南出氏にその旨を伝えたとのことです。

まさか南出氏が断るわけもないでしょうし、楽しみですね。それとは別に以下の百地章先生の動画をみると谷田川惣氏の理論的に依拠しているのは、百地先生のようですね。討論には百地先生にも出てきて欲しいです。

百地章>憲法無効論で入口を塞ぐべきでない
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18129543

 2012/06/23 | 07:25:05 | にん



ご案内の動画とおそらく同じと思われる動画が YouTube にもありましたので貼っておきます。
 百地章>憲法無効論で入口を塞ぐべきでない - YouTube


>討論には百地先生にも出てきて欲しいです。

百地氏が窮して泣きそうになるシーンを一時間ぐらいじっくりと拝見してみたい、かもしれません(笑)
あるいは、いわゆる有効論に対する反問を彼に対して重ねていけば、遅かれ早かれ逆ギレして本性(ルソーかデカルトかベンサムか)が盛大に表れるかもしれません。いつぞやの倉山氏がそうであったかもしれません。

動画を観た限り、百地氏は真正の無効論をほぼ全くといっていいほど認識されてませんね。彼は真正の無効論に関しては無知の極みにあるということが、この動画において実によく表明されています。これで法学者、憲法学者が務まるのなら、仮に世の中の人全員が法学者、憲法学者を自称しても、それをとがめる資格も権限も誰にもないということになりかねません。

隠しても隠さなくても理性信仰にして国民主権論者(または天皇主権論者)であるところの、日本国憲法改正論者や破棄論者(=全面改正論者)は、程度の差はあれ、また自覚症状の有無にかかわらず、精神の核心においてルソーかデカルトかベンサムなどの思想と酷似した思想を信奉しているのです。彼らが信頼と敬意を寄せているのは決してバークでもハミルトンでもドストエフスキーでもなく、本居宣長でも井上毅でもないのです。

日本国憲法はルソー憲法であります。一部のエセ保守に関する一般論として申せば、ルソーを批判するその同じ脳で、ルソー憲法であるところの日本国憲法を憲法として有効!であるとしてその改正や破棄(=全面改正)を主張したり支持したりするのですから、自覚症状なきサイレントな多重人格症状もそこまで進行すると、改善や猛省の途が彼ら自身の力で彼ら自身の視野に入ってくることは、なかなか望めないように思います。

チャンネル桜には、一回完結型の「討論番組」に加えて、ひとつの独立したシリーズ番組として「南出道場」みたいな番組を企画していただいて、そこに毎回、谷田川氏や上念氏や倉山氏がいわば「道場破りの挑戦者」として入れ替わり立ち代り出演されて、南出氏と交戦するというスタイルがいいのではないかと思ったりします。そして武道家でもあられる水島社長が司会兼審判役としてその番組に立ち会うというスタイルです。番組(道場)の最高顧問役として渡部昇一先生にもご登壇いただければ最高でしょう。極めて公正公平な番組になるのではないかと思います。そして番組構成の次第によっては、視聴者からの憲法論に関する質問状を受け付けて、毎回一問ずつでもよいから、その質問に答えるコーナーがあればいいと思います。欲を言えばそうした番組を毎週放送していただきたいですが、それが無理ならば、せめて隔週放送を希望します。30分では無理っぽいですから、1時間番組ですね。

チャンネル桜が真に保守系メディアであるか、あるいはエセ保守・右翼系メディアであるかの重大な分岐点にそびえるひとつのテーマが、この「憲法論、国憲論」であろうと思います。チャンネル桜にはエセ保守・右翼系メディアではない、真の保守系メディアとしての立ち位置をこの「憲法論、国憲論」において明確に、声を大にして示していただきたいと、小生は本心からそう願っています。そうすれば、チャンネル桜の背には巨大な日の丸が輝き始めるのです。輝く巨大な日の丸を背に、極真保守の剣をとるメディアがそこから始まるのです。

真の保守系メディアならば、「憲法論、国憲論」において主張すべきは日本国憲法講和条約説であります。





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【コメントの紹介 その2】 ~新自由主義・野口悠紀雄・中川八洋~

[コメントの紹介 その2]

せっかくの丁寧なコメントがこのまま過去ログに埋もれてしまうのはもったいないと思ったので紹介。そして、コメントをいただいたことに感謝しつつ、小生の見解や雑感などを記述してみました。

【エントリ本文】
【本】 中川八洋著『TPPで日本を救え(仮)』 あちゃ~ あかんわ...

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【コメント】

中川八洋はマクロ経済がまったくわかっていません。池田信夫や野口悠紀雄もそうです。マクロ経済をわかっていないのはマルキストと同じです。三橋貴明と論戦したら彼らは敗北するでしょう。三橋のほうが資本主義者です。

中川八洋はおそらくこれで千秋楽です。経済がわからない中川は政治思想を語ってはいけません。マルクスも反マルクスも国民経済がさっぱりわかっていません。

 2012/06/13 | 16:44:39 | 元銀行員です



まぁ、共産主義者も新自由主義者もそれぞれが載っている皿は異なれど、その皿が載っている盆は同じであります。その盆を認識できないがため、当然にその盆の外側など彼らの世界ではなく、盆の外側を実存として認識できない、という構図であります。小生のこの愚考が正しければ、それを認識できない人は、ドストエフスキーの著作、ベルジャーエフの著作、本居宣長の著作をそれぞれ百万回読んだとしても、それらを最大限、文芸としてしか把握することができず、彼らの哲学を彼らと共有することができないはずであります。

池田信夫氏については、そのメンタリティは日本人よりもむしろ朝鮮人に近いのではないかと思うことがあります。

野口悠紀雄氏ですが、『大震災後の日本経済』という著書があります。彼の著書には大概、索引がつけられています。で、『大震災後の日本経済』とタイトルでズバリいうなら、その内容において現下のデフレの問題に触れなければそれを語れないであろうに、「デフレ」に言及している箇所がないのです。『大震災後の日本経済』には「インフレ」という単語は計10ページほどにわたって登場するのですが、「デフレ」という単語は、その索引にもなく、かつ小生の本文の見落しがなければ、ただの一度も登場しないのです。「インフレ」を山のように語ることはできても、「デフレ」を語ることができないのでしょう。ご指摘のように、彼は(というか、彼も!)マクロ経済を認識できていない可能性が高いと思われます。彼の近著『製造業が日本を滅ぼす』にいたっては、タイトルを見ただけで oyoyo 的には読む気も、買う気も、さわる気も、1ミクロンたりとも起こらない本。

以上の批判の多少の中和剤として書いておくなら、野口悠紀雄氏の御本のなかでは『「超」英語法』が小生のお気に入りです(持っているのは文庫版)。この本のいいところ、というか愉快なところは各章の章末に「第○章のまとめ」と題されたコーナーがあり、そこだけを読めばこの本全体の内容がすっかり理解できるという画期性であります。買わなくても立ち読み15分で読了できる本です(笑)

中川八洋氏は、その守備範囲を (1)英米系政治思想、(2)教育論・皇統論を含む現代社会思想、(3)核武装・核エネルギー関連、あたりに留めておかれるのが得策かもしれません。中川氏の場合、それらと「憲法論」や「経済論」を関連づけて語ると、氏の保守真正度についての疑惑が目立ってくる傾向が否めないように以前から思っています。

まぁ、PHP も、件のこんな本を出すくらいなら、たとえば『保守主義の哲学』を新書化して再刊されるほうが、よっぽど商売になると思うんですがね。新書は定価800円~1000円程度が相場なのかもしれませんが、【新書版】『保守主義の哲学』なら税込み1575円でも、PHP新書の新刊本の平均以上のペースで売れると思います。

中川八洋氏といえば、数日前、ブックオフ某店の105円コーナーで氏の御本を見つけて購入しました。気が向けば別エントリで紹介するかもしれません。105円コーナーで氏の御本を見つけて購入したのはこれで4度目ですかねー。





【コメントの紹介 その1】 ~石原慎太郎・自民党・真正の無効論(講和条約説)・「ロベスピエール・橋下」~

[コメントの紹介 その1]

せっかくの丁寧なコメントがこのまま過去ログに埋もれてしまうのはもったいないと思ったので紹介。そして、コメントをいただいたことに感謝しつつ、小生の見解や雑感などを記述してみました。

【エントリ本文】
【尖閣購入と反日報道】 支那系反日思想にドップリ浸るNHK。

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【コメント】

はじめまして
ブログ主樣、こんにちは、はじめまして。いつも拝見しております。

さて、この度の都知事の唐突な表明、しかもアメリカでの意志表明には驚きました、石原都知事に関しては、今年の2月に現行憲法の破棄宣言を自民党に求めるような發言もあり、何か覚悟を決めたかの樣な感じを抱きます。

現行憲法破棄論に関しては、ブログ主樣も指摘しておられた樣にその認識において、些かの違和感と認識不足を感じておりました、

しかし、南出喜久治先生も長年に渡って、都知事に真正護憲論の息吹を注入してきており、多少のズレと誤解もあるでしょうが、一石を投じる結果にはなったと思います、そこは南出先生もよく理解されている樣に思います。

また、今回の件も実は南出先生の後ろ盾があるのではないかと勝手に推察しております(笑)。こと、領土に関する見識もさることながら、石垣島の仲間均さんを支援されており、祖国防衛権も主張されていました。あの領土問題に関する一歩たりとも引かない姿勢と国士たる行動・發言にはただただ感服致します、石原都知事とは長年の関係もありますから、この件においても色々とアドバイスはしている事の樣に思った次第であります。

今後の都知事の動向に注目が集まりますね、早速仕掛けてきたメディアの妨害を如何に乗り切るのか、これは全力で応援しなくてはなりませんね。

 2012/04/18 | 07:13:43 | 九州男児



石原都知事の少なくとも現在の認識レベルでは、真正の無効論に到達する可能性はほぼゼロと小生は観ています。石原氏御自身の自力において憲法についての認識が改善されない限り、善人からどう説得され、悪人からどう調教されても、良くも悪くも、彼の場合は民族系あるいは反米英系の彼自身の意向に依拠した「エセ無効論」=「破棄論」=「全面改正論」にしか着地しないでしょう。しかしながら、要は「利用価値」です。相手がいかなる大物政治家であろうとも、要は國體護持、国益増進、国民益極大化のための「利用価値」であります。相手が「石」であれ「丸太」であれ、國體護持、国益増進、国民益極大化のための「利用価値」があれば、その「石」や「丸太」のことを応援します。その「石」や「丸太」を支持もします。その「石」や「丸太」に一票を投じます。その「石」や「丸太」が出版する本も買いましょう。冷酷かもしれませんが、これが、保守ではない政治や政治家に対して強いて保守を求める際の一つの現実でありましょう。理想の「石」や「丸太」は「有益にして少害」で、亡くなってもらわねばならないのは「無益・少益にして多害」な「石」や「丸太」であります。「有益にして少害」な間はOK。「無益・少益にして多害」であればNG。石原氏の現在位置は良く言ってそのOKとNGの中間地点ぐらいではないかと観ます。

石原都知事といえば、石原新党の話がその後どーなっているのかは知りませんが、仮にケツを叩くなら石原新党のケツではなく自民党のケツだと思います。自民党が石原氏を最高顧問に迎えるくらいでないと石原氏の本領発揮もその半ばにすら到達せずといったところでしょう。党員が5人10人程度の、さしたる組織なき個人の寄り合い新党では、マスコミ向け・バカウヨ向けの話題の提供はあれこれできるかもしれませんが、政治の戦力としてはゼロに等しいかもしれません。自民党においては麻生氏や安倍氏などの総理大臣経験者は党の最高顧問ですから、そこに石原氏も加わって「最高顧問会議」を構成し、あるいは平沼氏も加わり、これまでの政策対立や、わだかまりは、ひとまず横に置いて、その「最高顧問会議」が党の意思決定の舵取り役となって、若手・中堅の議員・党員を含む党全体の総意形成を指導していく体制なら、自民党を支持する価値は十分あると思います。選挙の顔になる総裁には女性(ブスと老人以外)、そして総理には、総理をやりたいという中堅のなかから一名(アホ以外、財務省の家畜以外)を据えればいいと思います。以前のエントリにも書いた、いわゆる「総総分離」が選択肢の一つとしてあると思います。総裁にしても総理にしても、あらゆる意味において、とりあえず2年はもつ人物でないとなりません。半年か3カ月も経たぬうちにシッポや失言が出るようなモノはいけません。なお、これといった利用価値のない、何をドーすればいいのか皆目わかっていないことが顔ツキからしてバレバレの谷垣は、さっさと政界を引退すべきであります。小生の観るところ、谷垣はあと一歩か二歩踏み外しただけで立派に「ルーピー鳩山2号」になります。

それから石原氏は、くれぐれも「ジャコバン・維新の会」の社会統制主義者「ロベスピエール・橋下」を相手にしないことです。一緒にお食事をなさることも、一緒にお茶を飲むことも慎まなければなりません。小生の観るところ、「ロベスピエール・橋下」はあと半歩踏み外しただけで立派に「カン・チョクト2号」か「カン・チョクトの大阪民国バージョン」になります。これも、もうだいぶ以前のエントリでも書いた通り、ハシシタはとっくの昔に賞味期限切れであります。

若干の余談ではありますが、この社会統制主義者にして人民主権論者の「ロベスピエール・橋下」をつい最近までマンセーしていた連中のうちの一つの派が、いまだに小泉の構造改革(破壊活動)に未練タラタラの新自由主義者たちであります。その新自由主義者たちに言いたいのは、仮にも「自由」を語るなら、先ずこの社会統制主義者「ロベスピエール・橋下」と「ジャコバン・維新の会」を批判してからにしていただきたいということであります。「統制」が好きそうなハシシタを「保守だ」とか「自由主義者だ」などと信じたがる自称「保守」・自称「真正保守」・自称「自由主義者」・新自由主義信者にとっての「自由」とはいったい何なんだろうかと、思いますね。

まぁ、ロベス・橋下が総理大臣になった暁には、国民の服装の統制(夏場のノーネクタイ強制、クールビスの定義や寸法を法律で定めて強制、違反した場合には雇用主に対して行政指導あり)、冷暖房の設定温度の法定化とそれに基づくチェック体制の構築、ガソリン購入をチケット制にしたうえでそのチケットを計画配給(戦前の一時期は、たとえばマッチが配給制でしたよね)、鉄道会社のダイヤ改変や列車編成変更の際の許認可制導入、地方ごとに国民の休日を分散指示、国民の休日の過ごし方の政府によるガイドライン作成などを、「国民のため!」とか「生活を守る!」などと称して平常心でやるのかもしれません。

最近、ロベス・橋下は表情がカン・チョクトに似てきましたょ。目尻や頬からアゴにかけてのラインがなんとも・・・・(笑)
思想はやっぱり顔に出ます。





テンプレート(CSS、HTML)のカスタマイズ 覚え書き(2)

どこをどーいじったのか、のメモ。

前回いじったときのメモは oyoyo Memo Blog テンプレート(CSS、HTML)のカスタマイズ 覚え書き

改変・変更して、もし変になったら、なにはともあれ、とりあえず、一旦もとにもどす。これを原状恢復の法理という。

今回は主に「メイリオ」を意識したカスタマイズ。ブラウザの「メイリオ」フォントの「サイズ16」(Firefox や Google Chrome で標準的なサイズ)で見たときの見映えを改善。加えて以前から少し気になっていた箇所を幾つか補正。

「MS Pゴシック」の「サイズ16」、「メイリオ」の「サイズ16」、どっちで見ても「程よく見れる」ようになれば・・・と思いながら調整してみました。同じ「サイズ16」でも、「メイリオ」はデカイ。


以下、(1.) ~ (9.) は CSS。(10.) は HTML。


(1.) 記事本文内のリンクの下線を非表示。

【変更前】
div.entry-body a:link {color: #33f; border-bottom: 1px dotted #333; text-decoration: none;}
div.entry-body a:visited {color: #33f; border-bottom: 1px dotted #333; text-decoration: none;}
div.entry-body a:hover {color: #63c; background-color: #ccf; border-bottom: 1px solid #63c; text-decoration: none;}
div.entry-body a:active {color: #33f; border-bottom: 1px dotted #333; text-decoration: none;}

【変更後】
div.entry-body a:link {color: #33f; text-decoration: none;}
div.entry-body a:visited {color: #33f; text-decoration: none;}
div.entry-body a:hover {color: #63c; background-color: #ccf; text-decoration: none;}
div.entry-body a:active {color: #33f; text-decoration: none;}

おそらく重要なのは、リンクがどこにあるのか、どこがリンクになっているのかを、なるべく直感的に認識してもらえるようにしておく、ということで、これまではマウスポインターを乗っけなくても最初から下線があったほうがいいかなと思って、リンクの下線を表示していたのです。が、上下の行で(見た目、二階建てのような格好で)リンクがある場合、フォントやそのサイズによっては、上の行のリンクの下線が下の行のリンク部分に被さって表示されてしまうことが多々あり、これを解消するため、記事本文内のリンクの下線を非表示にしました。なお、マウスオーバー時の背景色などの設定はそのまま。


(2.) 記事本体部分の背景を画像から背景色に変更。これで1000分の何秒かは表示が速くなったかもしれません。

【変更前】
div.entry-body {
padding : 10px 20px;
background: url("http://blog-imgs-26.fc2.com/u/n/d/underground7/ug_com_back.jpg") repeat-y #fff;

【変更後】
div.entry-body {
padding : 10px 20px;
background-color : #eee;

【再変更後】
div.entry-body {
padding : 10px 20px;
background-color : #f9f9f9;

 ↑さらに明るくしてみました。(2012/06/19)

【再々変更後】
div.entry-body {
padding : 10px 20px;
background-color : #fcfcfc;

 ↑さらに明るくしてみました。(2012/06/23)


(3.) 記事タイトル部分の背景を画像から背景色に変更。これにより、長いタイトル(たとえば2行、3行にわたるタイトル)のエントリも、タイトル部分のレイアウトが崩れるおそれを気にせずにできるようになりました。ついでに記事タイトルの文字回りの余白を修正。

【変更前】
div.section h2 {
padding: 7px 0 4px 12px;
background : url("http://blog-imgs-26.fc2.com/u/n/d/underground7/lefttop.gif") top left repeat;

【変更後】
div.section h2 {
padding: 7px 12px 4px 12px;
background-color : #fdd;


テンプレート(CSS、HTML)のカスタマイズ 覚え書き(2) の続き » » »

【保守哲学】 国学の系譜、帝國憲法の統 (三)

 本居宣長   井上毅(いのうえこわし)   陸奥宗光
 画像は左から順に本居宣長、井上毅(いのうえこわし)、陸奥宗光。
 本居宣長の画像は 本居宣長記念館HP より、
 井上毅と陸奥宗光の画像は 国立国会図書館HP より拝借。


【三】 そして、『国学(古学)とは國體護持の実践哲学である、あるいは真正の保守の思想に違わぬ哲学の統である』という認識だからこそ、昭和の前半の国家的危機の最中の実務において、天皇主権論者や民族系共産主義者などの右翼(=非國體思想の極左にして反米英系)と対峙された御二方を、ここで挙げておきたいのです。

昭和天皇 昭和天皇 - Wikipedia

吉田茂 吉田茂 - Wikipedia


真正の保守の政治を実現するためには、それを志す政治実務家も、その後援者や支持者も、以上に挙げた先達が所属し継受してきた国学(古学)の統に、いまこそ接続しなければならないと思います。

この哲学の学統を継受し、昭和天皇の天才性と臣民の命を繋がれた御聖断をいまに生きるもの、現存するものであるとして敬服できる人物、かつ、井上毅と陸奥宗光と吉田茂を足し合わせたような人物が、真の意味においての大臣かその補佐役として複数出現しないのであれば、日本の衰亡はおそらく既定路線とならざるを得ないと思います。そしてそのような人物は、もはや東京大学を頂上とする「日本社会主義人民養成学歴システム」からは輩出され得ないと見るべきではないのかと。というか、くれぐれもそのような「恐ろしい」人物が輩出して「極真保守政権」が誕生したり、真正大日本が出現しないようにするために、「日本社会主義人民養成学歴システム」があるのだと考えるべきではないのかと思います。

連合国(妄信的通称:国連)からすれば、ジャパンごとき国の総理大臣にはルーピー(クルクルパー)鳩山、朝鮮系の市民活動家であるカン・チョクト、あるいは財務省を飼い主とするその家畜であるところの野田某のような、少なくとも政治・経済に関しては一般国民以下のレベルの低知脳保有者がきっと相応しいのでしょう。ならば、連合国(妄信的通称:国連)が阻止したい回避したいと考えているのは、日本における「極真保守政権」の誕生であり、真正大日本の出現なのかもしれません。あるいはそのあたりにおいて、印象「左」にして看板「共産」「反米」の支那の対日当局の思惑と、印象「右」にして看板「新自由」「反共」の米国の対日当局の思惑には相同性があるのかもしれません。そして多少のイジメに遭ってでも端くれ的立場でもよいからその相同性クラブのメンバーでいたいというのが目下、竹島(松島)を不法占拠している南鮮であり、これは朝鮮生来の事大主義丸出しであります。

そして、そうした海外の陣営に多かれ少なかれ媚び従う傾向を示す反日日本人もまた、昨今はやりのところで申せば、占領憲法改正(あるいは「新しい自主憲法」制定)やTPP参加推進を唱えるという方法をもって、日本における「極真保守政権」の誕生を忌避するサインを知ってか知らずか発しているのです。この、日本人自身が日本における「極真保守政権」の誕生を、真正大日本の出現を忌避していることこそが、日本が国の内から外からしばしば「半人前扱い」や「小人(しょうじん)扱い」を受ける根本の要因ではないのかと思います。見透かされていると言ってよろしいでしょう。日本側のこのような精神状態では、たとえば北方領土(千島、樺太)に関する交渉において日本の国益に合致する正当な交渉ができる見込みはゼロ。ロシアの当局にしても、そのような状態の日本を本気で交渉相手にする必要など、どこにもないのです。

反日日本人のうち、経済モドキ政策においてはTPP参加推進に賛同し、憲法モドキ論議においては日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を進めたがる人々の正体は、「新自由主義」や「国民主権論」というイデオロギー(=主義、教義)を多かれ少なかれ信奉する人々(=信者)。TPP参加が経済の供給能力を(将来の経済環境の変化に対応するはずの供給能力をも含めて)低下させるであろうにもかかわらず、それでもTPP参加が正しいのだとする、少なくともその結論は彼らの脳内では最初から成立しているのでしょう。日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)が、「法の支配」の「法」よりも人間の意思や理性が上にあるとする遵法精神ゼロ(=祖霊無視思想)を公言・流布する行為であるにもかかわらず、それでも日本国憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)が正しいのだとする、少なくともその結論は彼らの脳内では最初から成立しているのでしょう。目下、幅をきかせている「国民主権論」と「新自由主義」。朝日新聞も産経新聞も読売新聞も自民党も民主党もNHKも創価学会(公明党)も「維新の会」のハシシタもみんなの党も大方の政治学者も経済学者も、この「国民主権論」と「新自由主義」のセットが好きなようです。

イデオロギー護持のためなら、占領憲法の改正によって大東亜戦争の思想戦を今後も継続し、子や孫に「ウソつきになれ」「不正直になれ」「理性を信仰しろ」と強迫することになってもそれはやむを得ない、子よ孫よ我慢して従ってくれと考えている連中(=子孫虐待思想)。そのくせ、子や孫に対し、しばしば道徳やルールやマナーの重要性を語る。そしてそれほどの矛盾さえも、イデオロギー護持に由来するものならば、あまり問題にすべきではないとする。まことに占領憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を提唱するという行為は、遵法精神ゼロにして祖霊無視思想を保有していることの証拠であり、かつ理性信仰にして子孫虐待思想を内に秘めているからこそできる業なのであります。占領憲法の改正(あるいは「新しい自主憲法の制定」)を提唱する連中が靖国に参拝するという行為が、英霊に対して一体どれほどの冒涜かということです。

反日日本人にとっては、政治・経済のおよそ一切のことは、何らかのイデオロギーという「度」の入ったメガネを通してでないと見えない、読めない、判らない、語れないのであり、また、そのイデオロギーという「度」の入ったメガネをかけながらでなければ、政治・経済のおよそ一切のことを見てはならない、読んではならない、判ってはならない、語ってはならないのかもしれません。別なたとえをするなら、イデオロギーとはまさに「思想の温室」であり、この「温室」の中に脳を置いた状態でないと、政治・経済のことを、言葉にして語るほどには見れない、読めない、把握できない症候群なのかもしれません。

あるいは、たとえば、拉致被害者の救出を訴えるマークであるブルー・リボンのバッジを着けて、占領憲法の改正や新自主憲法の制定を提唱するというこの多重人格症状を、「保守派」「保守系」の大多数を占めているかもしれない連中が自覚できる時は果たしてやってくるのでしょうか。それは拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けているに等しいのだということ、わかりますか? 拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けている人間を見て、その人間が本当に拉致被害者の救出を訴えているとあなたは見ますか? アメリカ人は見ますか? ロシア人は見ますか? 拉致被害者の救出を訴えながら北朝鮮のバッジを着けている人間、それが國體護持の実践哲学には程遠い、あるいは真正の保守の思想にも程遠い、イデオロギー信奉者の姿なのであります。

宣長先生の仰った「漢意(からごころ)」=反日思想、非國體思想が、従来の左翼市民系や支那・朝鮮礼賛系の方々の思想や主張のなかにのみならず、国民主権論者や新自由主義者の思想や主張、「尊皇」や「伝統」の看板を出している論者の思想や主張、各種の宗教家の思想や主張のなかにこそ織り込まれていることに、我々は目を光らさなければならないのであります。





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