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時事と雑記。気が向いたときに更新するブログ。

奉祝 昭和天長節 (昭和の日)

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関連リンク、関連動画

YouTube - 天長節 奉祝大会 (國士舘大学 昭和40年頃4月29日)
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YouTube - 君が代 (現代語訳付き) Japan's national anthem
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YouTube - 世界最強の天皇陛下
http://www.youtube.com/watch?v=lsOFxj9To-o

YouTube - 終戦の詔勅 (玉音放送)
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昭和天皇 - Wikipedia
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【保守哲学・憲法無効論】 日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」 (下)

これまでに、オークショットやハミルトン等の著作のほんの一部と、梧陰先生こと井上毅の遺した莫大な書物(長いものから、短い書簡まで)のほんの一部を拝読しただけですが、英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出すと小生は考えています。正しい日本国憲法無効論は、決して何らかの偏狭な、日本国内の一部だけでしか通用しない主義主張ではないのです。そのようなイデオロギーとは無縁であります。それを考察する際に欠くことのできない真正の思想、真正の哲学の紡ぎ出した糸口の一端が、オークショットならオークショットの著作の一行に、ハミルトンならハミルトンの著作の一節にあります。

そうした観点に立って、小生は、日本国憲法は憲法として無効である、と考えます。憲法無効論を支持するといっても、何らかのイデオロギーに基づく憲法無効論(もどき)ならば、小生はそれに与することはなく、それを排除する側に与します。

三橋貴明氏は過日のブログ・エントリのなかで、このようにお書きでした。

単に日本の緊縮財政派の人たちが、環境をまったく考慮せず、イデオロギーのように延々と同じソリューションを叫び続けるため、批判しているだけでございます。イデオロギーに基づく緊縮財政派を批判する以上、わたくしがイデオロギーに基づく積極財政派をも批判するのは言うまでもありません。

ポルトガル危機 最終回|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog より。


実にすばらしいと思います。このフレイズを拝借して、小生がいま述べたことを当てはめるなら、

エドワード・コークの著作にしても、マイケル・オークショットの論文にしても、イデオロギーに染まった目で見てしまっては、おそらく受け取りを誤るでしょう。イデオロギーに基づく共産主義・社会主義・民主主義・国民主権(人民主権)を批判する以上、小生がイデオロギーに基づく保守主義をも批判するのは言うまでもありません。


「日本国憲法」をどう改正したところで、日本国の憲法としての正統性は生じ得ないのです(前回のエントリ参照)。正統性とは、現在生きているシャバの人間が専制支配(ウシハク)し得るものではありません。正統性でも何でも、如何なるものであろうとも、現在生きている国民(=シャバの人間)が完全に支配できるのだ! というのが反日思想の最たるものであると小生は考えています。これを「シャバ人間主義」と名付けます。たとえばハイエクのいう「設計主義的合理主義」は、これに近似するものではないだろうかと思うことがあります。

この「シャバ人間主義」は、国民主権(人民主権)の社会、もしくは天皇主権の社会へといざなう、反日の生態を育む土壌の肥やしというべきです。そのような肥やしを吸い込んだ土壌で生活すれば、国民主権(人民主権)、天皇主権の狂気を次第次第に脳髄の中に取り込むのです。明治維新前後以降のこの約150年間のなかで、その肥やしは、ときに薄まったり、ときに猛烈に濃度を増したりしながら狂気の土壌を醸成し、今日に到るまで総じて日本の天気は「国民主権ときどき人民主権、ところにより天皇主権」ではなかったかと。それが戦争や全体主義の原因とまでは言いませんが、全体主義の力強い肥やし、ないしその呼び水は、この「シャバ人間主義」を養分とする思想にあると観ています。ですから、平和を愛するなら、ヤマト(現代の日本語で申すなら「大平和(だいへいわ)」)を愛するなら、「シャバ人間主義」を養分とする思想を戒めなければなりません。

ところが、この「シャバ人間主義」は平成に入ってますますその濃度を増強してきたかのようにうかがえます。俗に言われるところの「失われた20年」と呼吸を一にして、この「シャバ人間主義」が猛威を振るってきたかのように思われてならないのであります。この20年、経済面においては、かの新自由主義(または、かの「構造改革」)を国民の少なからぬ部分が停滞感打破のための効果ある処方箋と信仰して受容してきたからであり、政治思想の面においては支那・特亜の臭気を放つ人民主権思想の日本国土への半ば寛容的な蔓延が続いてきたからです。そして、小生は、この「シャバ人間主義」を養分とする思想を筋肉質なまでに裏打ちする、ひとつの有力な成分が rationalism (合理主義)ではないかと、rationalism (合理主義)にかなり以前から強い容疑をかけています。

そして rationalism (合理主義)への容疑は、少なくとももう一つあります。日本国憲法改正論者の思想や信条にその菌糸を蔓延らせているとする容疑であります。 rationalism は理性主義、理性論、唯理論とも訳されるようです。

オークショットの Rationalism in Politics の冒頭に近い一節には、こうあります。

The general character and disposition of the Rationalist are, I think, difficult to identify. At bottom he stands (he always stands) for independence of mind on all occasions, for thought free from obligation to any authority save the authority of 'reason'. His circumstances in the modern world have made him contentious: he is the enemy of authority, of prejudice, of the merely traditional, customary or habitual.

Rationalism in PoliticsSelections from Michael Oakeshott at conservativeforum.org より。

------------------

合理主義者、すなわち理性教の信者に概ね共通するキャラや傾向をズバリ当てましょう!というのは、なかなか容易ではない。だが、彼らは如何なる議論の場面においても、精神的な引きこもりを、すなわち如何なる権威に対する敬意や思慮にも左右されない思考を頑なに保持している。ただし、自分様の、合理主義者様の「理知」という権威への敬意や思慮は、彼らの頭のなかでは別格である。彼ら理性教の信者が異論や争論を差し込みたがるのは、近代以降のこの思潮の海に、彼らの脳ミソがドップリ漬かっているからである。たとえば、伝統的権威、偏見、あるいはそれが伝統的で、慣習法みたいで、つかみどころの乏しいしきたりみたいなものに見えるからというだけで、彼らはそうしたものを敵視するのである。

( oyoyo な解釈。くれぐれも出過ぎたアラを指摘して攻撃しないように。お願い致します。)


大日本帝國憲法の真正護憲論、真正の日本国憲法無効論に執拗なまでに異論を付けたがる輩の習性、ないしその精神の状態を捉えていると思いませんか? むしろ、そういう輩を想定して読むほうが、Rationalism in Politics の導入としては判りやすいかもしれません。 Rationalism in Politics には、思考を駆りたてるこうした洞察が至るところにちりばめられています。

で、そうした思想や哲学のページをめくるにつれ、その一方において、日本の明治以降のこの約150年間に著された、数多の「これが日本の保守思想だ!」と、あたかも保守の定番であるとのお墨付きを得た思想家や評論家の著作であっても、かなりアヤシイのが、これまた沢山あることに気付かされるのです。

そして、そうした類の思想家や評論家の思想のDNAをどこからか継受した、或いはどこからともなく継受した、現生の新たな思想家・評論家がこれまた多々発生しており、そうした連中の著作や言論が、いまも飽くことなく生産され、売りさばかれ、拡散されていることに、また気付かされるのです。そのような言論の内容の例として、近衛文麿擁護論、二・二六事件の革新系軍人への崇拝ないし礼賛論、山本五十六称賛論。そして日本国憲法改正論・平成の巻。おまけで付けておくなら、民主党擁護論ともいうべき人民主権政治待望論などです。目下、官邸や大政党の党本部に出入りして、その執行部にあれこれのレクチャーを吹き込んでいる大学教授らがその最たる当番役です。また、マスメディアにご出演のコメンテーターの先生方のなかには、そうした言論の国民向けレクチャー担当のご当番をなさっている方々がいらっしゃるでしょう。それを知っててやっているのか、それとも知らずにやっているのかは問いません。


話が少し逸れましたが、日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」の思想を、筋肉質なまでに裏打ちするひとつの有力な成分が rationalism (合理主義)。これが憲法論議においては、日本国憲法改正論の主張として、あるいは無効論に対する理解不足や等閑視等に現れているように思います。このうち、無効論に対する等閑視は、無効論を日本国憲法改正論の一種ないし変種として捉える浅薄に過ぎる思考へと傾斜しやすいように思います。そして、そうした種類の思考の促進を引き受けているものが、合理主義者様・理性主義者様・理性論者様・唯理論者様の「理知」という権威なのではないのかと。合理主義者様・理性主義者様・理性論者様・唯理論者様は、その「理知」の保持にかけては、笑えるほど頑ななのです。

「英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出す・・・・・・」と書きましたが、のみならず、英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、政治と経済政策の両方における反日思想の病理をも浮かび上がらせるように思う今日このごろであります。


   ◇   ◇   ◇ 

オークショットの Rationalism in Politics は、バークの Reflections on the Revolution in France、ハミルトンの Federalist Paper などと同様、邦訳本が出ています。 が! 邦訳本というものは大概どれもそうなのですが、訳が気に入りません。そう思うのはあるいは贅沢なのかもしれませんが、たとえそれがその邦訳本の内容の若干部分であれ、どーゆー思考のプロセスを経ればこの英文がこんな日本語へと合成されるのかと。あるいはまた、翻訳を担当された日本の先生の訳が正しいのなら、その先生が参照された英文が印刷の不備か何かで間違っているのではないのかと。そのような疑いを抱かざるを得ない翻訳の載った本がありすぎます。おまけに値段が高すぎです。


【関連エントリ】

oyoyo Memo Blog 中川八洋氏と憲法無効論
oyoyo Memo Blog 愛すべき「保守派」のアナタへ 仙谷由人のこと
oyoyo Memo Blog 11月29日こそ、憲法記念日であります。





【保守哲学・憲法無効論】 日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」 (上)

今回は先のエントリ(oyoyo Memo Blog 中川八洋氏と憲法無効論)と内容が一部重複しますが、もう少しだけ一般論化を試みかけた・・・・・・、みたいなもの、
と御了解下されば幸いです。


日本国憲法が憲法としては失格ないし無効であるとしても、これに保守の法思想ないしその哲学に基づいた改正を加えれば正統の憲法が出来る、すなわち、

「憲法としては失格ないし無効なもの」+「改正」=「正統の憲法」、もしくは、
「憲法として無効な憲法(もどき)」+「改正」=「憲法として有効な憲法」

との捉え方は、憲法無効論にまつわる最もポピュラーな誤認であり、最も安易な曲解であると小生は観ています。日本国憲法を「憲法としては失格ないし無効なもの」と了解していても、この捉え方は無効論に非ず、紛れもなく有効論になります。なぜなら、憲法として有効であるとの(すなわち有効論の)視座だからこそ、日本国憲法の改正条項に従った憲法改正を試みることができるからです。

誰がとは申しませんが、憲法無効論に一応の首肯を示し、一応の賛意を示しておきながら、爾後、「私は日本国憲法を改正して新憲法を制定すべきだと思うんです」とか、「やはり日本国憲法を改正して自主憲法を作るしかないと思うんですよね」などと、実に涼しそうな顔をして、ときに神妙な顔をして語るのです。それも保守系とされる政治家や評論家や学者先生などが!です。憲法無効論に首肯し、賛意を示したからといって、そうした方々の思考には誠に油断ならないものがあります。で、それに関して、故意か過失かは問わない、というのが小生の基本姿勢であり、基本の構えであります。

前エントリにおいて、「日本国憲法のいわゆる改正派ないし改憲論支持者は、いわゆる護憲派ないし護憲論支持者よりも反日の濃度や執拗性においては勝るとも劣ることはないかもしれません」と書きましたが、次に挙げるのがその具体的人物の例。いずれも MSN 産経ニュースの記事より。これはほんの一例であり、ほんとのほんとに氷山の一角にすぎません。

中曽根元首相、「保守の真髄は憲法改正」
「憲法改正しきちんと安保展開」 奈良正論懇話会・中西輝政氏
【正論】東洋学園大学准教授・櫻田淳 安保での失点は安保で取り戻せ
【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 憲法改正の狼煙上げる秋がきた
【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 戦後体制から脱皮し国家再興を


保守系大先生ばかりではありません。一般に数多いる「保守派」や自称「保守」、自称「保守主義者」の連中は、確かに「保守系」という名の皿の上に載っています。しかし、彼らには、その皿は「反日」という盆の上に載っているのだ、ということが見えないのです。なぜなら、彼らにとっては、そのような盆など無いのであり(すなわちそれを認識できていない)、また、盆を認識できていない彼らにとっては当然のことながら、盆の上も外もないのです。彼らにとっては盆の外は妄想や空想の領域、ないし不毛の領域としてしか認識できないはずであります。

ということは、そのような数多の連中は「反日」とは何かについて、実は見えていないことになります。少なくともその全体像を鳥瞰できるような視座も眺望も現時点においては持っていないのです。「反日」という盆を足場にしている限り、「保守」という名の皿であれ、「保守主義」という名を付けた皿であれ、如何なる名を付けた皿に納まろうとも、真正の日本国憲法無効論は見えてこないでしょう。

これが判らないとするなら、保守系大先生たちがしばしば口を揃えて仰せの、戦後保守からの脱却とか、戦後レジームの打破などは無理であります。「新憲法」を制定しようが、「自主憲法」を制定しようが、「創憲」しようが、はたまた「日本国憲法の破棄」をしても、これが判らないとするなら、戦後保守からの脱却とか戦後レジームの打破は無理であります。どう服を着替えても、どう語り口調を変えても、盆の上のイデオロギー(皿対皿、皿対皿対皿)の論壇コーナー、ないし盆の上の種々のイデオロギーのシェアリングに終始する学級会議にしかなりません。





2011/3/18/ にリリースされた Lightbox 2.05 を試用してみる

[テンプレ js 動作確認用エントリ]

うまくいかなければ元のテンプレの状態に戻す予定。その場合、このエントリは、
はぁ? てな感じの、わけのわからない存在となる。

うまくいった場合でも、これまでにアップロードした画像のうち、サムネイルを作成してエントリで使用した全ての画像のリンクタグに "rel" 属性( rel="lightbox")を付加するのか? どーしようか? という問題がある。

css, js, images... とりあえずアップロードし忘れたファイルはないはず。
css, js ファイル内の変更も、たぶんこれでいいはず。

興味のある方は以下の画像をどれでもクリックしてみてください。
なにぶん、"実験" ですので、クリックは自己責任でお願いします。(笑)


テスト用画像1(拾い物)  テスト用画像2(拾い物)

カン・チョクトの政権交代論_kan_chokuto_minshu_4256





画像をグループ化して表示する試み。

test_f22_raptor_cool.jpg  test_f22_raptor_cool2.jpg

test_euro_fighter_06.jpg test_euro_fighter_05.jpg test_euro_fighter_04.gif

test_F2_08.png test_F2_00.png test_F2_10.png

test_shinshin_05.jpeg  test_shinshin_04.jpeg



Lightbox 2
http://www.huddletogether.com/projects/lightbox2/
または、
http://www.lokeshdhakar.com/projects/lightbox2/



2011/3/18/ にリリースされた Lightbox 2.05 を試用してみる の続き » » »

【憲法無効論】 中川八洋氏と憲法無効論 (下)

次は、中川八洋氏の著作、『国民の憲法改正』からの一部引用です。原文の段落は、本エントリでは一行余白としています。

中川八洋 国民の憲法改正 01 *書籍の画像は 紀伊國屋書店 BookWeb より拝借

当時のわずか十四宮家しかないのにそのうち八割を廃止するという一九四七年十月の革命は、敗戦のどさくさで日本政府部内に潜む赤い政府高官たちの暗躍でそうなったのである。GHQ(連合国軍総司令部)は「皇室財産の解体」と「皇族の特権の廃止」を命じたが、十一宮家の皇族離脱には全く関与していない。この一九四六年五月にあった皇族の特権の廃止も、皇族の財産を洗いざらい公開させるのが目的で、「皇室財産の解体」作業の一つであった。だが、これらはすべて一九四七年二月までに完了していた。

一九四六年二月三日、マッカーサーがホイットニー民政局長に手渡した憲法改正三原則のうち、「皇族」に言及したのは第三項の「皇族(Imperial family)を除き」だけであった。「宮家皇族の削減」などGHQは一言もいっていない。(*2)

「(第一項) 天皇は国の元首の地位にある。皇位は世襲される」
「(第三項) 華族の権利は、皇族を除き、現在の一代以上には及ばない」

二月十三日に日本側に渡されたGHQ憲法草案にも、次の第十三条の文中にある「皇族のそれを除き」のみであった。

「華族としての権利は、皇族(Imperial dynasty)のそれを除き、現在の一代限りとする」(*3)

また、皇室典範が現憲法の施行の直前に改正させられたが(一九四七年一月十六日、施行日は憲法のそれと同じ)、皇族については「附則(2) 現在の皇族は、この法律による皇族とし、・・・・・・」とあり、あの十一宮家はいまだ皇族であった。つまり、この十一宮家の臣籍降下は、不自然にも新・皇室典範の施行から半年もたったずっと後のことである。十一宮家の臣籍降下を画策した「犯人」たる、日本政府の官庁の高官の氏名をこれからの現代史研究において明らかにしなければならない。

「降伏後における米国政府の初期対日方針」の一つとしての皇室財産の解体の理由はいろいろ憶測されているが、この理由はともあれ、それによって、一九四七年二月二十日に皇室は財産税として三三億四二六八万一二九〇円という巨額を納付した。お手元には僅かしか残らなかった。このGHQの皇室財産解体の方針は現憲法にそのまま記載された。現憲法第八条の「皇室に財産を譲り渡し、・・・・・・」と、第八八条の「すべて皇室財産は国に属する・・・・・・」である。この両条項の存在は、現在の憲法がGHQと占領下の日本政府との間の占領にかかわる "契約書" であったことを示している。日本国憲法は、通常の憲法でなく、あくまでも占領行政当局と被占領国の間の契約書である。

話を戻す。この皇室財産の解体によって、皇室全体の財政が逼迫し、この事態が日本側の赤い官僚に悪用されて十一宮家の臣籍降下が余儀なくされていった。一九四七年五月三日施行の新憲法と皇室経済法に従い、一九四七年四月からの国の予算の中にこの十一宮家の経費を皇族費として計上すれば何ら問題は生じないのに、日本政府の大蔵省は、十一宮家の皇族費(国全体の予算の中では微小な額)を政府予算案の中に一円も計上しなかった。十一宮家が臣籍降下せざるをえないよう、大蔵省主計局がペン先一つで追い込んだのである。"兵糧攻め" である。敵対的分子と目された国民には食糧の配給をせず餓死に至らしめている北朝鮮の金正日のやり口に似ている。十一宮家つぶしの真犯人、それは大蔵省であった。


(*2) 『日本国憲法制定の過程I』、有斐閣、一〇〇頁。
(*3) 同上、二七四頁。

中川八洋著『国民の憲法改正』(ビジネス社、2004年) P.56 ~P.58
原文中の著者による傍点は省略。
アンダーラインは拙者による。



日本国憲法が「占領行政当局と被占領国の間の契約書」、つまり「占領契約書」であることはお認めになっていらっしゃると判断できます。すなわち、日本国憲法は「占領契約書」として有効であるという意味にとることができます。

ならば、そのような「占領契約書」の内容を改正(更新)しても、「旧・占領契約書」が「新・占領契約書」になるだけなのであり、「旧・占領契約書」が「新・占領契約書」になった瞬間に、日本国の憲法としての正統性がポコッと出現するわけではありません。

これは、たとえば、「日本国憲法を破棄して、新しい自主憲法を創設しよう! 」などという数多の「保守派」や自称「保守」、自称「真正保守」、自称「日本保守」等々に対しても、同じことが言えます。日本国憲法が「自主憲法」や「新憲法」へと改まった瞬間に、日本国の憲法としての正統性がポコッと出現するわけではありません。

戦後特有の何らかの体制とそこから生じる種々の利権を保守したい「戦後体制保守派・占領体制保守派」ならば、「占領契約書」に日本国の憲法としての正統性があるのだ!と言うべきです。その立場は、いわゆる「敗戦革命」があったとし、かつその「革命」を礼賛し、「革命」の成功を拝み続け、さらなる「革命」の成功や進展を願い続ける立場です。畏れ多くも
先帝陛下に刃を向ける立場というべきです。そのような、「占領契約書」に日本国の憲法としての正統性があるのだ!とする立場が、真正の保守のとる立場ですか?と。

また、「占領契約書」の内容を変更するということは、今度は「一九四六年」のときとは異なり、占領からは解かれたはずの日本国民がその多数の総意をもって、日本国憲法すなわち「旧・占領契約書」の条項なり条文なりに基づいて、「新・占領契約書」の内容に同意することにほかなりません。日本国憲法が憲法として有効であるとの視座を持ってこれを改正するなら、その先には「新・占領契約書」が出現するのです。「同意」といえば言葉は美しいかもしれませんが、なにしろ「占領契約書」でありますから、これは占領される側、すなわち日本国と日本国民の、意思に基づく「服従」であります。「旧・占領契約書」を改正(更新)してできるものは「新・占領契約書」であり、「新・服従契約書」であり、「新・従属契約書」であります。

そして、左様な「占領契約書」を何卒宜しく擁護したいとする点においては、世の、日本国憲法のいわゆる改正派ないし改憲論支持者も、いわゆる護憲派ないし護憲論支持者も、同じであります。それどころか、左様な「占領契約書」を、「時代に合うように改正・改変・更新」してまでも擁護したい!とする、日本国憲法のいわゆる改正派ないし改憲論支持者は、いわゆる護憲派ないし護憲論支持者よりも反日の濃度や執拗性においては勝るとも劣ることはないかもしれません。この「新・服従契約書」は、数多の保守系大先生らによって「新憲法」とか「自主憲法」などといったタイトルを与えられ、「新・服従契約書」を策定することを或る者は「日本国憲法の破棄」などと大嘘をぶち上げ(言ってる本人はそれが大嘘であることが判っていない)、或る者はそれを「自主憲法の制定」と豪語し、はたまた創価学会の憲法でもあるまいし「創憲」などと称するわけです。

「保守派」曰く、対等の日米関係を希望しながら、日本国憲法の改正なる「新・服従契約書」を渇望する。あるいはまた、講演の前半では連合国(妄信的通称:国連)の安全保障理事会の常任理事国のイスを希望すると表明しておきながら、その後半においては「新・従属契約書」調製の必要性を披露する。これが数多の「保守派」や自称「保守」、自称「真正保守」、自称「日本保守」等々、「保守派」や「保守系」の連中の精神の全力であり、少なくとも現段階における彼らの脳髄(本能!)の発育水準なのです。

話は少し逸れましたが、やはり「憲法改正」と命名されているだけあって、『国民の憲法改正』には、それ全体を通じて、真正の大日本帝國憲法護憲論ないし真正の日本国憲法無効論を語るには大きく欠けているものがあります。大日本帝國憲法の現存を認知する説明であります。


以上の小考察を踏まえ、一応の結論です。

有効論であり、無効論とはならず、しかも極めて不完全な無効論のようにもうかがえるその理由は、中川先生の大日本帝國憲法の現存の認知の如何、その辺りにあるように推測する次第ですが、いかがでしょうか。





考えのままに書いていると、以上の分量の3倍程度になりましたので、一旦ここで区切りをつけてアップしました。
残りの内容については、適当に分割・再構成して、タイトルも改めて、アップしたほうがいいかなぁと思います。





【関連エントリ自選】

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【「帝國憲法の現存」関連のリンク】

YouTube - 8-1 大日本帝国憲法現存論講義 弁護士 南出喜久治
YouTube - 1/6 大日本帝国憲法現存論(質疑応答編)南出喜久治
大日本帝国憲法は現存しています - 動画共有サイトzoome
沖縄県民斯ク戦ヘリ「大日本帝国憲法」現存証明
【新無効論】講和条約説 「日本国憲法」は憲法として無効です!
國體護持塾 - 國體護持總論


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英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出すと小生は考えています。正しい日本国憲法無効論は、決して何らかの偏狭な、日本国内の一部だけでしか通用しない主義主張ではないのです。そのようなイデオロギーとは無縁であります。それを考察する際に欠くことのできない真正の思想、真正の哲学の紡ぎ出した糸口の一端が、オークショットならオークショットの著作の一行に、ハミルトンならハミルトンの著作の一節にあります。

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