oyoyo Memo Blog

時事と雑記。気が向いたときに更新するブログ。

【皇紀二千六百八十年 (2020年) 東京オリンピック開催決定】 「ネットテレビ」が普及する。東京・大阪間のリニアは?

「東京オリンピック 1964」では「カラーテレビ」が普及した。「東京オリンピック 2020」では「ネットテレビ」が普及する。PCとテレビが正に「一つ」になる。リモコンでインターネット上に無数にあるページの中から好きなページや動画を次々と、ホイホイと、好きな時間帯に好きなだけ表示できないテレビよ、さようなら。

「リモコンでインターネット上に無数にあるページの中から好きなページや動画を次々と、ホイホイと、好きな時間帯に好きなだけ表示できないテレビ」の余命は6年~7年である。もって10年。そして生産終了。

"ちょうどええ頃合いやないの。テレビの買い替えの。いま、おうちにある、わりと新しいテレビ、買わはったん、いつ? 2、3年前とちゃう? ちょうどやん。あと6、7年したら、ちょうど買い替えの時期やん!"


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  「東京オリンピック 1964」の関連動画 その壱
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東京オリンピック開会式 - YouTube
感動の東京オリンピック1964開会式(15分)ブルーインパルス有 - YouTube
オリンピック・マーチ 陸上自衛隊中央音楽隊 - YouTube
その他の「東京オリンピック 1964」 YouTube 検索結果

皇紀二千六百二十四年が1964年であるから、日本においては皇紀二千六百年代の前半に1回と後半に1回の計2回、東京という同じ場所で国際的超大型スポーツ大会(夏季オリンピック)が開催されることになる。


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  「東京オリンピック 1964」の関連動画 その弐
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夢の超特急 東海道新幹線の記録1 - YouTube
夢の超特急 東海道新幹線の記録2. - YouTube

 ↑必見! 東海道新幹線建設工事の貴重な記録映画。理研映画が製作した作品。

東京・大阪間のリニアはこれから6年~7年で建設・開業できるか?

東海道新幹線の開業前、東西の大動脈である東海道本線は線路容量が逼迫しており、抜本的な輸送力増強を迫られていた。これに対し日本国有鉄道(国鉄)は、十河信二国鉄総裁と技師長の島秀雄の下、高速運転が可能な標準軌新線を建設することを決定。1959年(昭和34年)4月20日に着工し、東京オリンピック開会直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業した。計画段階では「東海道新線」と呼ばれていたが、開業時には「東海道新幹線」と命名された。「新幹線」という呼称は戦前に東京駅 - 下関駅間で計画された「弾丸列車」の内部呼称に由来するといわれている。

東海道新幹線 - Wikipedia より



東海道新幹線の場合は、着工から開業まで5年半か。

とりあえず、やってみないか! リニア中央新幹線! できるとこまで!

     ◇        ◇        ◇

これは正に経済=「経國済民」の問題。

例えば、一人の失業者(日本国民限定)に生活保護費等として日本政府が(地方公共団体を経由するなどして)月15万円を支給した場合と、その失業者を雇用した建設会社(日本の国内企業限定)に対して日本政府が月15万円を支給した場合(当該建設会社に対する相同額の雇用減税でも可)、果たして政府の負担は同じでしょうか? あるいは果たして国民の負担は同じでしょうか? という問題です。

答えは「その失業者を雇用した建設会社(日本の国内企業限定)に対して政府が月15万円を支給した場合」のほうが政府の負担は軽くなります。なぜそうなるのかの理由を自分の脳で考えられたし。アダム・スミスや J.B.セイは、そこらへんがどうも判らなかったのではないかと小生は推察します。18世紀初頭(いまからちょうど300年ほど前)の英国の教会者たちの大方も、アダム・スミスや J.B.セイ同様の思考の傾向であったと小生は観ています。彼らにはそれが「不道徳」に思われたのでしょう。あるいはまた、当時の有力な知識人たちからはそれが「反自由主義的である」と思われたのでしょう。

対して、エドマンド・バークやフリードリッヒ・リストは、経済=「経國済民」が判っていたのであり、経済の問題において「保守するとはどういうことか」が見えていたのであります。アレキザンダー・ハミルトンや荻原秀重はバークやリストのグループに入ります。新井白石はおそらくスミスやセイのグループです。

さて、経済の問題において、中川八洋氏はバークやリストのグループか、それともスミスやセイのグループか。中川氏は後者に属すると、小生は観ています。

なお、「J.B.セイ」は「J.B.セー」とも表記されることがありますが、綴りは "Say" であり、セーよりもセイのほうがよろしいようです。

セイなんて初耳という方には、最近、マジいいブログ記事があったんだわ。
  ↓
セミじゃないのょ、セイなのょ、みたいな。タイトル見た瞬間にそう思ったわ。
  ↓
頭の中にセイがいる|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」


     ◇        ◇        ◇


リニア中央新幹線 リニア中央新幹線建設促進期成同盟会

中央新幹線 - Wikipedia

大阪側のリニア発着駅は「京橋」もしくは「大阪(梅田)」、もしくはその両方がよろしい。すなわち、「『JR環状線』に加えて『JR以外の複数の路線』と連絡している駅」がよろしい。「天王寺」などもその条件に一致するが、第三の候補。

東京から西へのみならず東、すなわち茨城県(つくば、水戸)・福島県(郡山・福島)・仙台へも伸ばずべし。西もとりあえず岡山あたりまで伸ばすべし。

岡山-大阪-名古屋-東京-福島-仙台で、総事業費およそ22兆円ってとこか。22兆円の支出ではあるが、22兆円の所得でもある。

リニアを米英、欧州や豪州に売り込むための実績にもなる。

サヨクや原発反対派や「国の借金が・・・」派は、リニア建設にも反対するのだろうか(笑)






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【本】 『オトラント城/崇高と美の起源』

全6巻からなる叢書の1冊。

英国十八世紀文学叢書4
『オトラント城/崇高と美の起源』
奇跡、幻影、魔法、予知夢――あらゆる超自然が信じられていた、暗黒の時代の物語
ホレス・ウォルポール 著 / 千葉康樹 訳
エドマンド・バーク 著 / 大河内昌 訳
http://www.amazon.co.jp/dp/4327180548/

『オトラント城』は最初のゴシック小説であり、今日のホラー小説の原点である書。格調は損なわずに斬新な新訳で刊行する。『崇高と美の起源』は、そのゴシック美学をはじめて理論化したエッセイ。

発売日: 2012/02/21
頁数: 350ページ
出版社: 研究社
定価: 3360円
ISBN: 978-4327180546

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英国十八世紀文学叢書<全6巻>

十八世紀から「文学」の全てが始まった。英国近代文芸の原点は十八世紀にあり、「古典」の呼び名にふさわしいタイトルが綺羅星のごとく並ぶ。小説の始祖といわれるデフォーやリチャードソンが活躍しただけではない。スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は世界中で知らぬ人がない読み物となり、さらにはゴシック小説、黒人文学も出現し、ポルノグラフィの古典まで密かに書かれた。今日の「文学」の原型が数々生み出された熱い創造の時代を、すべて新訳・初訳の作品群に濃縮。

【第1巻 メロドラマ】
パミラ、あるいは淑徳の報い サミュエル・リチャードソン〔著〕 原田範行〔訳〕

【第2巻 諷刺】
ガリヴァー旅行記 ジョナサン・スウィフト〔著〕 高山宏〔訳〕

【第3巻 災厄のドキュメンタリー】
ペストの記憶 ダニエル・デフォー〔著〕 武田将明〔訳〕

【第4巻 ゴシック】
オトラント城 ホレス・ウォルポール〔著〕 千葉康樹〔訳〕
崇高と美の起源 エドマンド・バーク〔著〕 大河内昌〔訳〕

【第5巻 マイノリティ】
イクイアーノの生涯の興味深い物語 久野陽一〔訳〕

【第6巻 ポルノグラフィ】
エロチカ・アンソロジー 小林 章夫〔編訳〕

 (Amazon に掲載の情報を再構成)



■ ホレス・ウォルポール著 『オトラント城』

オトラント城奇譚
http://www.gutenberg21.co.jp/otrant.htm

Castle of Otranto, Jan Svankmajer, 1977, 1 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Umy9rLd-zJM

Castle of Otranto, Jan Svankmajer, 1977, 2 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=gFV_tESD8yA

Introducing Strawberry Hill - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zV1ql8Tfqcw


■ エドマンド・バーク著 『崇高と美の起源』

Edmund Burke Collection at Bartleby.com
http://www.bartleby.com/people/Burke-Ed.html

A philosophical enquiry into the origin of our ideas of the sublime and beautiful : Burke, Edmund, 1729-1797 : Free Download & Streaming : Internet Archive
http://www.archive.org/details/enqphilosophical00burkrich






Kerli - Tea Party - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uY58uPtAM68

Kerli - Army of Love (Beatwalker Remix) Music Video - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rMsYu_TBtvs

Selena Gomez & The Scene - Naturally - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=a_YR4dKArgo





保守の哲学 「本居宣長 直毘霊(なおびのみたま)」

以前のエントリ、日本国憲法改正という、「保守派」における「シャバ人間主義」 のなかで、「英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光は、日本の真正の保守の思想ないしその哲学の在り処を、少なくともそれに到る道程を、正しく照らし出す・・・・・・」と書きましたが、その照らし出される哲学の幾つかが本居宣長の「直毘霊(なおびのみたま)」にあります。

この「直毘霊」を日本の近世文学または国学・古学論に関する著名な文献資料の一つとの一般的な認識をもって、仮に百年かけて百万遍読んでも、そこにある本居宣長の穏やかにして実は強烈な保守の哲学を知覚することは、おそらく期待薄であろうと思います。そこのところを詳しく書き始めるとそれだけで長文になってしまいそうですので端折りますが、今となっては、そこにある保守の哲学を知覚するには、英米系の真正の保守の思想ないしその哲学の眼光(Conservative Minds)が必須なのではないだろうかと、小生はほぼ確信しています。

江戸時代をごく大雑把に三等分し、前期・中期・後期と分けた場合、その後期の始まりは西暦でいえば1800年あたりかその少し前になります。小生はこの西暦1800年あたりから現在までの約200年間を日本の「近現代」と捉えています。明治初年や昭和20年8月15日を決して「歴史や時代の切り取り線」とせず、しかしながらそうは言ってもどこかで一区切りをつけないことには、何らかの「時代」を考察するにもその「時代」の一応の目安すら定まりが着かないので、少なくともこの約200年間を一連なりとして、日本の「近現代」と捉えることにしています。

本居宣長は享保15年(1730年)生、享和元年(1801年)没と伝えられていますので、江戸時代のほぼど真ん中に生まれ、その中期の後半部を人生の前半で体験し、人生の後半で江戸時代の後期、すなわち日本の「近現代」の始まりを生きた人ということになります。巻一(まき・いち)に「直毘霊」が収納されている「古事記伝」(全四十四巻)は、その執筆開始が明和元年(1764年)で34歳頃、執筆終了が実に34年後の寛政10年(1798年)で68歳頃となっています。日本が「近現代」を迎え始めたまさにその時分に書き綴られた大著で、内容は第一級の政治哲学書と考察すべきと思います。賀茂真淵との有名な「松坂の一夜」は、調べましたところ宝暦13年(1763年)5月25日の夜とのことで、「古事記伝」の執筆開始はその翌年ということになります。

ちなみに、小説「松坂の一夜」は、その実話をもとにした歌人・万葉学者の佐々木信綱の作による実に美しい短編小説で、現代ならば進学校の高校生でも読むのに難儀する生徒が続出するのかもしれませんが、戦前は尋常小学校の国語の教科書に載る定番の一つだったらしいです。

もうひとつちなみに、かのエドマンド・バークは1729年生、1797年没ということですから、宣長とバークは生没年が近似しており、日本と英国で甚だ距離はありますが、同世代の人ということになるかもしれません。バークの「フランス革命の省察」の出版は、バスティーユ襲撃テロがあった1789年の翌年、1790年で、これは寛政2年になります。


本居宣長 「直毘霊」より、その一部。

天皇(スメラギ)の、大御皇祖神の御前を拜祭坐がごとく、臣聯八十伴緒、天下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、又天皇(スメラギ)の、朝廷のため天下のために、天神國神諸をも祭坐が如く、下なる人どもゝ、事にふれては、福を求むと、善神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡神をも和め祭り、又偶々身に罪穢もあれば、祓清むるなど、みな人の情にして、かならず有べきわざなり。然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の教へ儒の見にこそ、さる事もあらめ、神の道には、甚くそむけり。又異國(アダシクニ)には、神を祭るにも、たゞ理を先にしてさまざま議論あり。淫祀など云て、いましむる事もある、みなさかしらなり。凡て神は、佛などいふなる物の趣とは異にして、善神のみにはあらず、惡きも有て、心も所行も、然ある物なれば、惡きわざする人も福え、善事する人も、禍る事ある、よのつねなり。されば神は、理の富上をもて、思ひはかるべきものにあらず、たゞ其の御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、其のこゝろばへ有て、如何にも其神の歡喜び坐べきわざをなも爲べき。そはまづ萬を齊忌清まはりて、穢惡あらせず、堪たる限美好物多に獻り、或は琴ひき笛ふき歌ひなど、おもしろきわざをして祭る、此れみな神代の例にして、古のみちなり。然るをたゞ心の至り至らぬをのみいひて、獻る物にもなすわざにもかゝはらぬは、漢意のひがこと成り。扨て又神を祭るには、何わざよりも先火を重く忌清むべきこと、神代書の黄泉段を見て知べし。是は神事のみにもあらず、大かた常にもつゝしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり。若し火穢るゝときは、禍津日神ところをえて、荒び坐ゆゑに、世中に萬の禍事はおこるぞかし、かゝれば世のため民のためにも、なべて天下に、火の穢は忌まほしきわざなり。今の代には、唯神事のをり、又神の坐地などにこそ、かづかづも此忌は物すめれ。なべては然る事さらなきは、火の穢れなどいふをば、愚なる事ゝとおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり。かくて神御典を釋誨ゆる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、如何にぞや。

本居宣長研究ノート「大和心とは」 http://www.norinaga.jp/ より拝借。



>天皇(スメラギ)の、大御皇祖神の御前を拜祭坐がごとく、臣聯八十伴緒、天下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、・・・・

祭祀は天皇陛下御一身のみのことにあらず、皇祖宗とともにあり。また一般の国民も祭祀を大事にしてきたということ。

ことのついでながら、小生の愚見としては、祭祀とは、すなわち「生活」、「生きるということ」と言い代えても可、「本能」と言い代えても可。すなわち「生」の肯定であり、「本能」の肯定。祭祀にあっては「生」を何らかの宗教のように「苦」とはしない。

>事にふれては、福を求むと、善神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡神をも和め祭り

これは善なる唯一神の否定、無神論の排除。←全体主義などのイデオロギー生成ステージへの警戒。
(なぜ「善なる唯一神の否定」と「無神論の排除」が並列するのか、またなぜそれらが全体主義などのイデオロギー生成ステージへの警戒を意味するのかについては、別の機会があれば稿を改めて述べます。これは「保守哲学」、「反共」もしくは「反イデオロギー」などを考察する上で重要と思われます。)

>異國(アダシクニ)には、神を祭るにも、たゞ理を先にしてさまざま議論あり。淫祀など云て、いましむる事もある、みなさかしらなり。

これは合理主義・理知主義・理神論・唯理論の排除、ないしそれらへの警戒。

>凡て神は、佛などいふなる物の趣とは異にして、善神のみにはあらず、惡きも有て、心も所行も、然ある物なれば、惡きわざする人も福え、善事する人も、禍る事ある、よのつねなり。

再度、理知主義の否定、善なる唯一神の否定、無神論の排除。

「現実を見てみろ!」ということ。現実の事象やデータに目を背けて、自分が好ましい、望ましいと思う主義や理論に酔うな、しがみつくなということ。

悪やバカが栄え、空き缶以下のモノや汚物のようなモノが大臣になったりする一方、善徳の人が病身になったり、勤勉な人が種々困窮することもあるが、それは神が善神のみではない証拠。また「神」ではなく「神々」であり、「やおよろづのかみ」であり、悪神さまも居るということ。よって、「もう唯一の神さまである善神さまのことが信用できなくなったから・・・」といって、決して無神論にはならないし、あるいは、信用できなくなった善神さまに代わって「社会主義」とか「共産主義」とか「何タラ主義」とかいう人工合成の神(イデオロギー)を信仰したりしない。

>されば神は、理の富上をもて、思ひはかるべきものにあらず、たゞ其の御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。

これが判らない人は靖国や護国神社に参拝する資格ゼロであります。
再三再四の、理知主義の否定、設計主義的合理主義の排除、善なる唯一神の否定、無神論の排除。

>なまさかしらなる漢意のひろごれるなり。

日本国憲法の無効論(日本国憲法は講和条約として有効!)の立場に立つ大日本帝國憲法の真正護憲論者が迎撃対象にしているのは、まさに「さかしらなる漢意(からごころ)」の塊のような連中であります。他者に潜む、そして自己にこそ潜む、「さかしらなる漢意(からごころ)」の屈服ないし克服こそ、真正の保守の道の初歩であり初心であり、真正の護国の道の初歩であり初心であります。

>かくて神御典を釋誨ゆる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、如何にぞや。

「たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物」して「神御典を釋誨ゆる世々の識者たち」とは、現代においてその名を具体的に挙げるならば、例えば園部逸夫。やや古いところでは宮澤俊義。それから「識者」ではないかもしれませんが小林よしのり。それから、すももももものうちというか、自称「識者」も「識者」のうちということならば高森明勅。その他大勢。

しかし、少し目を転じれば、その小林を論破したとされる谷田川某ほか、日本国憲法の無効論(日本国憲法は講和条約として有効!)に執拗に異議や抵抗を唱える連中もまた一人残らず「たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して」の類であります。この類の連中は、既にミサイルロックの対象です。ついでに申しておくなら、今後、この連中がたとえ「転向」しても、たとえ劇的に「転向」を遂げても、他の心優しい紳士淑女の大日本帝國憲法真正護憲論の人々がどう判断されるのかは存じませんが、小生は連中に対するミサイルロックを解除するつもりは最初からありません。このあたりのことは反日思想保有者・非國體思想保有者に対する小生の最も基本の構えに属することであります。相手が日本人か外人かは関係ありません。また「知って」か「知らず」かも問いません。

また、ついでながら、「さかしらなる漢意(からごころ)」満々で、「たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して」の類の者が靖国や護国神社に参拝するなどというのは霊に対しての最大級の冒涜であります。たとえば、靖国や護国神社に参拝して「どうか日本をお守りくださいと英霊に祈願しました♪」などという、おっちょこちょいの「ホシュ」や自称「保守」や自称「愛国派」が居ることを見聞きさせられることがときどきあるのですが、「さかしらなる漢意(からごころ)」満々で、「たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して」の類の者には、その種のおっちょこちょいの「ホシュ」や自称「保守」や自称「愛国派」、自称「憂国派」を含みます。なぜそうなるのか?についての答えは本エントリにおいて再三再四、既出であります。


保守の哲学 「本居宣長 直毘霊(なおびのみたま)」 の続き » » »

【TPP問題】 エドマンド・バークからアダム・スミスへの忠告 (下)

 フリードリッヒ・リスト 01  エドマンド・バーク 02  アレキザンダー・ハミルトン 03
画像は左から順に、フリードリッヒ・リスト、エドマンド・バーク、アレキザンダー・ハミルトン。


経済とは即ち経國済民であり、経國済民の「國」とは即ち國體のことであります。國體を無視した経済論など、本当は経済論などではない、経済論モドキであります。「国家は決して世界政府的な主義体系によって統治されてはならず、それぞれの国家の国益についての深い研鑽によって得られた見識に基づいて統治されるものである」とのバークの忠告は、偽装保守にして革新系の小泉元総理大臣や新自由主義云々に、いまだに未練タラタラな現代日本人にも、そのまま忠告として通用します。

経済即ち経國済民について、フリードリッヒ・リストと同様な主張を展開するのがアレキザンダー・ハミルトンです。ハミルトンには『製造業に関する報告書』という著作があります(邦訳本あり)。そうした真正の国家観をもって経済や産業力を説く、リストやハミルトンの著作を読めば、TPPに反対を唱えないことこそが「真の反米」であり、「極左反米思想」であり、反ハミルトンであり、反バークであるということが歴然と判明するのです。

TPP推進論者たちの悪質なところは、「親米」という毛皮をかぶって自己のメンタリティに潜む「極左反米思想」=「自己の思想の本籍」を覆い、同時にその「極左反米思想」を温め続けているところにあります。さしあたって、産経新聞、読売新聞などがその典型であります。ちなみに朝日新聞は、TPP・自由貿易に関する主張やその話の筋は産経・読売に近似していても、敢えて「親米」という毛皮をかぶっているわけではなく、そうした観点から考慮するならば、産経新聞、読売新聞は、朝日新聞よりも悪性度が高く、悪質と言うべきでしょう。

たとえばこの記事↓は、このまま朝日新聞に載せてもいいくらいの出来映えというべきでしょう。
【主張】TPP参加 もはや先送りは許されぬ - MSN産経ニュース
(2011.10.09)

ですから小生は、以前から申しているのです、産経は朝日の子会社にでもなってはどうかと。(笑)

愛すべき「保守派」の方々に申し上げたいのは、そもそも、産経新聞のことを「保守系の新聞」などと捉えている段階で、その人の自称「保守」脳は思考遅滞症候群へと思いっきりハメられてしまっているということです。反バーク新聞、反ハミルトン新聞のいったいどこが「保守系の新聞」なのでしょうか、ということであります。小生の観察するところ、TPP論議における産経の知脳レベルは、憲法論議における谷田川某の知脳レベルとほぼ同等です。

        ◇        ◇        ◇

そしてもう一つ、愛すべき「保守派」の方々に申し上げたいのは、アダム・スミスは「保守」か? ということであります。

言い換えるなら、
アダム・スミスは『健全で有益な思想家』か?
アダム・スミスは『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』か?
ということであります。
小生は、アダム・スミスを『健全で有益な思想家』の一人とすることに、あるいはまた『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』の一人とすることに、大いに疑問を呈したいと思っています。

この『健全で有益な思想家』というフレイズは、中川八洋著『正統の哲学 異端の思想』からの引用です。中川八洋著『正統の哲学 異端の思想』において、アダム・スミスは『健全で有益な思想家』の一人として挙げられています。また、『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』というフレイズは、中川八洋著『保守主義の哲学』からの引用です。中川八洋著『保守主義の哲学』において、アダム・スミスは『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』の一人として挙げられています。

小生は、バークやハミルトンこそ、間違いなく『健全で有益な思想家』の筆頭代表格であり、『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』の筆頭代表格であると考えています。対して、アダム・スミスは「國」の認識が薄弱で、世界政府的な主義体系に経済(=経國済民)をハメ込もうとする理念を抱いているところがあるように思われてならないのであります。

よって、中川八洋著『正統の哲学 異端の思想』にある中川先生御作成の『健全で有益な思想家』リスト、ならびに中川八洋著『保守主義の哲学』にある同『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』リストについて、小生はそれらを全面的には認容することはできず、少なくともアダム・スミスについては却下、すなわち当該リストから除外するか、少なくとも「(カッコ)」付きとすべき人物の一人とするのが妥当ではないかと思うわけです。

加えて申し上げるなら、中川先生御作成の『健全で有益な思想家』リストと『日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家』リストに挙げられている人物のうち、ハンナ・アーレント、カール・ポパーの両名についても「國」の認識が薄弱にうかがえます。容共的側面の影がちらつく部分や、やや頭の弱い者に対する弱者同情的なところなどは、かつて「犯罪者にもいろいろと事情があるんですよ」云々と発言したことのある何処ぞの大臣と極左リベラル系の最大公約数を共有しているようにさえ思え、小生としては認容し難いところがあるのですが、そのあたりについてはもっと考究を進めてから別の機会に綴ってみたいと思います。





 ■ Online Library of Liberty - Edmund Burke (1729 - 1797)
 ■ Online Library of Liberty - Alexander Hamilton (1757 - 1804)
 ■ Online Library of Liberty - Friedrich List (1789 - 1846)
 ■ Online Library of Liberty - Adam Smith (1723 - 1790)





【TPP問題】 エドマンド・バークからアダム・スミスへの忠告 (上)

 フリードリッヒ・リスト 01  エドマンド・バーク 02  アレキザンダー・ハミルトン 03
画像は左から順に、フリードリッヒ・リスト、エドマンド・バーク、アレキザンダー・ハミルトン。

より正確には、エドマンド・バークから自称「自由論者」、自称「保守論者」への忠告であります。「アダム・スミス」というのは自称「自由論者」ないし自称「保守論者」を含意する筆頭代名詞に過ぎません。

TPP・自由貿易という「トロイの木馬」に自分から進んで感染し、経済の供給能力を生きたまま中絶せしめ、もって「真正自由の道」とは正反対の、国民総生活保護の「弱者になる道」を歩もうとしている日本にとって、今こそ読むべき、尋常ならざる内容の著作が今から百七十年前に出版されています。はっきり申して、読み進めれば読み進めるほど、百七十年も前に出版されたとは俄かには信じがたい内容の大著であります。

フリードリッヒ・リスト著 『経済学の国民的体系』 (1841年刊)であります。
Friedrich List, The National System of Political Economy [1841]
(Online Library of Liberty)

ドイツ語で出版された同書の書名の英訳が「The National System of Political Economy」で、『経済学の国民的体系』というのは、昭和45年に同書の邦訳本を出版された小林昇氏の訳による同書の書名です。ちなみに「The National System of Political Economy」の初邦訳本は、『李氏経済論』(上巻・下巻)の書名で明治22年に出版されています。明治22年といえば大日本帝國憲法が発布された年であります。天然かつ真正の秀才、井上毅もご存命であった時代です。

「The National System of Political Economy」を、小生は同書の英文の内容を踏まえ、
『経済論 ---経済、すなわち真正自由の経國済民について---』
と訳すことにしました。このエントリで採り上げるのは大著「The National System of Political Economy」のなかの一章の、さらにそのなかの極めて短い一節に過ぎません。そこに本エントリのタイトルにも拝借した "Burke declared in confidence to Adam Smith ..." という部分がありますので、保守哲学と経済論を同時に考察できるきっかけなり、一助なりになればと思うわけです。

本エントリを通じた結論を先にまとめておくなら、政治哲学の領域であれ、経済論であれ、貿易論であれ、憲法論であれ、國體否認ないし國體否定の思想に真正の自由など無いのである、ということであります。國體否認ないし國體否定の思想は、それが如何なる名称にあっても、自由ゼロの社会を目指す思想である、ということであります。構造改革信奉も、新自由主義礼賛も、自由貿易の絶対的信奉も、妄信的従米も、共産主義信奉も、國體否認ないし國體否定の度合においては、いずれも負けず劣らずのいい勝負だということであります。

Friedrich List,
The National System of Political Economy
Chapter XXXIV: THE INSULAR SUPREMACY AND THE GERMAN COMMERCIAL UNION

フリードリッヒ・リスト著
 『経済論 ---経済、すなわち真正自由の経國済民について---』
 「第34章 英国の支配的優越とドイツ通商連合」 より

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We must correct the view of the author of the report, that public opinion in Germany is in favour of free trade, by stating that since the establishment of the Commercial Union people have acquired a clearer perception of what it is that England usually understands by the term 'free trade,' for, as he himself says, 'Since that period the sentiments of the German people have been diverted from the region of hope and of fantasy to that of their actual and material interests.'

その記事によると、「ドイツの国論は自由貿易称賛である」というのであるが、正しくは、通商連合の設立以来、人々は、英国が「自由貿易」という御旗の下で常々何を考えているのかということについて、いよいよ明確に思い知ったのである。その記事にもある通り、通商連合の設立を契機として、我々国民の気持ちは、夢と希望のお花畑ワールドから実利実益重視の現実世界へと次第に方向転換し始めたのである。

The author of the report is quite right when he says that intelligence is very greatly diffused amongst the German people, but for that very reason people in Germany have ceased to indulge in cosmopolitical dreams.

その記事の言っていることは実に正しい。国民の間に正しい知識が広く共有されるに至ったというのは正にその通り。しかし正しい知識が広く共有されるに至ったからこそ、世界政府的な理念のなすがままにさせておくのを我々国民がもうやめると考えるに至ったのである。

People here now think for themselves―they trust their own conclusions, their own experience, their own sound common sense, more than one-sided systems which are opposed to all experience.

今や、国民は自分たち自身の頭で考え、そして思い至った結論の正しさを確かめ、現実に起こっていることを重視し、真っ当な良識を擁護し、対して、積み重ね得た経験に反する、貿易当事者の一方にのみ有利な制度はもう沢山だと思っているのである。

They begin to comprehend why it was that Burke declared in confidence to Adam Smith 'that a nation must not be governed according to cosmopolitical systems, but according to knowledge of their special national interests acquired by deep research.'

そして国民は、バークの声に耳を傾け始める。「国家は決して世界政府的な主義体系によって統治されてはならず、それぞれの国家の国益についての深い研鑽によって得られた見識に基づいて統治されるものである」とアダム・スミスに忠告したエドマンド・バークの声である。

People in Germany distrust counsellors who blow both cold and hot out of the same mouth. People know also how to estimate at their proper value the interests and the advice of those who are our industrial competitors. Finally, people in Germany bear in mind as often as English offers are under discussion the well-known proverb of the presents offered by the Danaidæ.

最早、国民は、主張の色合いを都合よく変えてくる経済顧問の大先生らの意見に付き合うのはやめにしようと思っている。貿易上の諸利害やその相手方からの勧告を、どのようにすれば自分たちからみて本来あるべき価額に見積もることができるのかを知らないほど我々国民はバカではない。そしてようやく、我々は英国が出してくる提案を審議する度に、かの格言、"Fear the Greeks bearing gifts" 「贈り物を携えた外人には注意せよ」 を肝に銘じるようになったのである。

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(oyoyo 謹訳)
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最後の "the well-known proverb of the presents offered by the Danaidæ" の訳については、Timeo Danaos et dona ferentes - Wikipedia と、この格言の比較的定番になっていそうな英訳表現を参考にしました。「トロイの木馬」の話です。



まぁ、TPPの場合は、「贈り物を携えた外人」に注意せよ、ではなく、「贈り物(メリット)があるように日本国民に思わせようとしている反日日本人」に注意せよ、であります。贈り物の中に爆弾やウイルスを仕掛けて相手に持たせるのは勿論犯罪ですが、贈り物(メリット)が無いのに贈り物(メリット)があるように思わせて契約を結ばせようとする行為は紛れもなく詐欺未遂であり、結果的には契約を結ぶに至らなくとも、当該行為者はもうその時点(つまり現時点)で犯罪の容疑者であります。デフレ脱却の重要性を理解しない(=経國済民が判っていない國體無視の)TPP推進論者とはそういう連中なのです。TPP推進論者の氏名・所属の一覧表(=詐欺未遂の容疑者の氏名・所属の一覧表)をいまから作っておくのがよろしいかもしれません。

経済とは即ち経國済民であり、経國済民の「國」とは即ち國體のことであります。國體を無視した経済論など、本当は経済論などではない、経済論モドキであります。「国家は決して世界政府的な主義体系によって統治されてはならず、それぞれの国家の国益についての深い研鑽によって得られた見識に基づいて統治されるものである」とのバークの忠告は、偽装保守にして革新系の小泉元総理大臣や新自由主義云々に、いまだに未練タラタラな現代日本人にも、そのまま忠告として通用します。

経済即ち経國済民について、フリードリッヒ・リストと同様な主張を展開するのがアレキザンダー・ハミルトンです。ハミルトンには『製造業に関する報告書』という著作があります(邦訳本あり)。そうした真正の国家観をもって経済や産業力を説く、リストやハミルトンの著作を読めば、TPPに反対を唱えないことこそが「真の反米」であり、「極左反米思想」であり、反ハミルトンであり、反バークであるということが歴然と判明するのです。





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